希望の手紙

2011年12月31日

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 年の終わりにこの1年をふり返ると、やはり2011年は東日本大震災という未曾有の震災を経験した年だったことに尽きるように思う。9ヶ月の月日が流れ、東京で暮らす私たちの日常はふつうに戻り、人々の記憶の中からも少しずつあの地震の怖さが薄れつつあるけれど、大切な人や物を失った人々の心は、依然3月11日のままなのかもしれない。そんな思いになる。そしてテレビの年末特集は、あの地震の日に何が起こったのかを検証する番組が多く、その映像を見るほどに、改めて想像を絶する大自然の威力を思い知るのだった。これは、昔話で読んだ神話でも寓話でもない。21世紀の今、現実に起こったことなのだ。文明の発達は、その現象を一刻一刻記録する技術をももたらしてくれたおかげで、現実が現実として記録されているのである。
 ちょうど7年前の12月26日、スマトラ島沖で発生した地震による津波で、インドネシアのアチェの街は甚大な被害を受けた。その時、アチェの街が海に呑み込まれていく映像を見て、この世のものとは思えない衝撃を受けたが、まさに同じことが日本でも起きたのだった。

 そんな大きな悲しみを前にして、わたしはかける言葉を見つけることができなかった。いろんなところで、被災地へのメッセージを募集していたけれど、何を伝えていいのか分からなかった。今度はインドネシア語ではなく、同じ日本語を話す人々の間で起こった出来事だったにもかかわらず、言葉ははらはらと手のひらからこぼれ落ちていく思いだった。
 そんな時、もしかしたら同じ経験をしたアチェの人たちなら、東北の人たちの心を癒す言葉をかけることができるのではないだろうか。そんな思いが沸き上がってきた。そして、アチェの子供たちから東北の子供たちへ「希望の手紙」を配達するプロジェクトを立ち上げないかと、日頃、コミュニュケーションの仕事をしている日本とインドネシアの仕事仲間に相談したのが、春先のことだったのだ。

 『絶望という瓦礫の山から、どうやって歩き始めたのか。
 何が心のよりどころになって、未来への希望を見いだしたのか。
 そのアチェの子供たちの経験、元気が、少しでも日本の子供たちの希望の光になりますように……。』

 そんな願いを込めて、日本とインドネシアの仕事仲間がボランティアで支援活動をすることになったのである。
 そして、震災から9ヶ月目の12月11日、心の復興を語るにはまだ時期が早いかもしれないが、少しずつ、少しずつ、手紙を配信し、5年、10年と長い時間をかけて支援へのお手伝いができればと、「アチェから日本へ、希望の手紙」のWEB サイトを公開するに至った。 それは、スマトラ沖地震で被災して母親と兄を亡くし、現在は日本の大学で学んでいる青年から届いた、一通の手紙から始まるものだった。
 どうか、どうか、あたたかな応援メッセージが、東北の子供たちに届きますように。。ただ祈るばかりである。
http://kibounotegami.com/

 公開後、いろいろな人から、「東北の人に、このサイトのことを伝えました」「手紙を読んでもらい泣きしました」「この手紙の言葉はとても力強いです。同じような境遇にある子供たちにはとても強い希望になると思います」「手紙を書いてくれた男の子のように、一人でも多くの子供が前を向いて踏み出していけるといいね」などのメールをいただいた。そんな人のあたたかさが嬉しかった。どうかどうか、このあたたかさが、少しずつつながっていきますように。。
 12月26日、スマトラ沖地震から7年目となった日、手紙をくれた青年にメールを出してみると、「今、大学が冬休みなのでアチェに帰っています。僕の手紙が、日本の人たちの助けになったなら本当に嬉しいです」との返事がきた。心から喜んでくれているようだった。
 とはいえ、彼らにとって、もう7年なのか、やっと7年なのか。わたしには、その時の重みを推し量ることはできなかった。おそらくアチェの子供たちも、いまだ言葉にできない、言葉にならない思いを抱えて、それを乗り越えようと前を向いてがんばっている途上なのだろう。
 心の復興は、言葉でいうほど簡単ではなく、計り知れない時間がかかるかもしれない。しかし、少しずつでもこの「希望の手紙」をつないでいくことで、明日に、未来に、素敵な夢を描くための何か力になればと願ってやまない。言葉の力を信じて。人のつながりの力を信じて。そして未来を信じること。それが、何事もはじめの一歩なのである。