太宰とアンビバレント

2010年2月15日

太宰とアンビバレントc.jpg

 バンクーバーオリンピックがはじまり、朝のテレビもオリンピック一色になっていたが、9時を回ったころ『はなまるマーケット』を見ると、ジャニーズJrの生田斗真くんが「はなまるカフェ」のゲストとして出演していた。正直、この時はじめて、この人が生田くんというのだと認識したのだが、2月20日からはじまる映画『人間失格』の主演であると知り、思わずテレビに見入ってしまったのである。
 原作者・太宰治が自分の人生を投影させたとも言われる作品『人間失格』。道化を演じることでしか人とうまくつき合えない少年時代にはじまり、酒、女、薬に溺れてゆく青年時代、そして破滅へと進んでゆく主人公・大庭葉蔵を演じる生田くん。役作りもさることながら、映像がとても美しく出来上がっている話などを披露していた。そんなトークを聞きながら、きれいな顔をしたジャニーズJrの、わたしから見たらものすごく若い生田くんが、退廃的に堕ちてゆく葉蔵の役をどう演じるのかちょっと見てみたくもなった。

 ふり返れば、太宰の『人間失格』を本で読んだのは、中学生のころだった。ちょっぴり大人になりかけて、斜めから世の中や人間関係を見はじめたころだったのだろう。本を読んで、 人生とはこういうものなのだと妙に納得し、 堕ちてゆく人生に憧れに近いような思いになった記憶がある。いまだに上ってゆく人より、堕ちてゆく人のほうに人間的な魅力を感じるのだから、あの頃から精神年齢は変わらぬままなのかもしれない(笑)。 以来、太宰治を読むことは、精神的に大人であることの象徴ともなっていった。中学生だった当時、本当の意味をどこまで理解していたのかは定かではないが。
 そして、そんな太宰文学でもう一つ忘れられないのが、『走れメロス』だった。高校一年生のとき、現国(現代国語)の授業の教材に取り上げられたのだが、その授業が実にユニークだったのである。
 暴君である王に捕まり処刑されそうになるメロス。妹の結婚式に出席するために3日の猶予を求め、親友を人質として残し妹のもとへと帰るのだが、人間不信の王はメロスは戻ってはくるまいと思う。一方メロスは、妹の結婚式に出て王のもとへ戻ろうとするが、さまざまな困難に出会い、戻るのをあきらめかける。しかし、それでは人間不信の王の言う通りになると思い直し、ふたたび走り出し、ついに約束の時間に間に合い、親友の命を救うことができるのである。そして王の心も変えることに成功するという物語だった。
 そこで、現国の教師は、わたしたち高校一年生に、メロスが途中、戻るのをあきらめかける心境は、「アンビバレント」という心理状態なのだと授業で教えてくれたのである。戻ろうか、やめようか。 親友の命を救うためには戻りたい。 しかし、戻れば自分の命が助からない。戻りたいが、戻りたくない。その相反するふたつの心をもち葛藤することが、「アンビバレント」なのだと滔々と説くのである。当時、相反するふたつの気持ちに揺れ動き、悩むことなどなかったわたしにはあまりにも難解すぎて、その現国の授業がほとんど理解できなかったのだが、「アンビバレント」という言葉だけは妙に心に残ったのだった。

 不思議なもので、社会人となり物書きとなったわたしは、いつしか「アンビバレント」という精神状態を表現することが、ひとつのテーマにもなっていった。まさに著書『40代初産をはじめた女性たち』の隠れテーマは、「アンビバレント」だったのだ。本のタイトルを、「アンビバレントな女たち」にしたいと出版社に提案したほどだった。どうして40代まで産まなかった、あるいは産めなかったのか。それは、人間の生きる姿や心情、矛盾だらけのアンビバレントな思いをどこまで描けるかへの挑戦に他ならなかったからである。
 淋しいけどホッとする。嬉しいけど辛い。好きなのに嫌い。欲しいけど欲しくない。産みたいけど、産みたくない…。矛盾するふたつの気持ちを抱え、ゆらゆら揺れながら生きている女性たち。そんなアンビバレントな女性たちの肖像画のようなものを描きたかったのである。残念ながら、「アンビバレント」という言葉が少しむずかしいということで、あえなく本のタイトルからは却下されてしまったのだが…。
 しかし、いつの時代にも通じる人の心、「アンビバレント」な思いが、読む人の心にも届いて何かを感じてくれたらと今も願ってやまない。たとえどんな人生を歩もうと、人間や社会は、そう簡単に割り切れるものではなく、矛盾を抱えながらも、みんな生きていくものだから。

 思えば、こうして知らず知らずのうちに太宰に影響されてわたしは表現者になったのかもしれない。太宰の堕ちてゆく人間の物語に憧れた中学時代、太宰文学を通して「アンビバレント」という難解な言葉と出会った高校時代、そしてコピーライターを経てノンフィクションを書くようになった今。そんなこんなを思い出しながら、ふと本棚の奥を探してみたら、古い新潮文庫『人間失格』がなんとまだあるではないですか。懐かしく、甘美な一冊。太宰が作品を書いた年齢をとうに超えた今、改めて『人間失格』を読んでみたらどうなるだろう。10代のころとは違う、どんな感想をもつのだろうか。そんな思いに駆られていったのである。