文化を伝える

2010年2月3日

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 最近、百貨店の閉店のニュースがつづいていて、時代の流れなのかとちょっと寂しい思いになる。なかでも有楽町西武が今年中に閉鎖するというのはかなり衝撃的だった。1984年に有楽町マリオンにオープンしたときの広告のキャッチフレーズが、「ほどよい狭さの、大世界」。当時、コピーライターになりたくて、銀座にある宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていたわたしは、「なんてうまいコピーなんだろう」と思った記憶がある。大学1年生のころ池袋西武のジーンズ売場でバイトした経験もあって、わたしにとって西武は親しみのあるよく知る百貨店だった。その池袋店の広さに比べたら、有楽町マリオンはたしかにほどよい狭さなのだ。そこに大世界がひろがっていると言うのだから、心憎い。さすが糸井重里氏の作品である。思えば、あの頃の一連の百貨店の広告は本当に元気があったなぁっと懐かしくもなる。
 結局わたしは、大学を卒業して銀座にあるほどよく小さな広告プロダクションに入社して、コピーライターとなり、そのまま電通の某M百貨店の広告制作をしている部署のお茶くみ要員として出向した。そして1年後、会社に戻り、その百貨店の広告コピーを書くこととなったのである。こうして百貨店との縁はつづき、西武にはじまり、M百貨店におさまったという感じだった。それからというものは、くる日もくる日もM百貨店のコピーを徹夜で書きつづけた。池袋店からスタートし、日本橋本店、横浜店、新宿店も担当して、新聞広告からカタログ、ポスター、DM…と制作した。80年代後半、世の中はバブルだったこともあり、新聞の出稿量がとにかく多く、仕事をしてもしても終わらなかったのである。世の人々がバブルで楽しい時間を過ごしていただろう時期を、銀座の片隅にある古いビルの9階に、1日、15時間くらいいるという生活を送っていたのだ。ああ、わたしの青春を返してという気分になってくる(笑)。体力の限界を感じ、1993年に会社をやめたときは、これで、ふつうでまともな生活に戻れると思ったほどだった。
 が、ふつうに戻る夢はかなわず、その後はフリーライターとなり仕事を再開、取材ものやインタビュー記事、ノンフィクションの本などを書くようになった。同時にコピーライターの仕事も継続したため、いまだ某M百貨店とのつながりはつづき、かれこれ20年以上も百貨店の広告コピーを書くこととなっていた。その間、バブルは崩壊し、平成不況となり、百貨店業界の売上の不振もはじまり、とくに08年秋の世界金融危機以降の落ち込みは相当きびしいものがあった。この1年間のクライアントさんの日々の動きの変化を見るにつけ、 その苦境の深刻度がただごとでないことを肌身で実感した。09年5月に池袋店が閉店したときは、わたしも本当に寂しくなり、あの最後のシャッターが閉るときに最後まで頭をさげつづけた店長の姿に思わず涙したほどだった。わたしにとって池袋店はプロとしてはじめてコピーを書いたクライアントだったのだ。
 そうして、年明けた2010年、ついに有楽町西武までも店を閉めることになったというニュースを知り、この20数年の日々がくるくると思いめぐらされたのである。

 ちまたでは、ファストファッションと呼ばれるおしゃれで低価格の商品が売れている。わたしの身の丈の金銭感覚もそちらに近いものがあるものの、百貨店の仕事をしていると、本当にそれだけでいいのだろうかという思いになる。たしかに百貨店に並んでいる商品は、やや高額になるだろう。しかし、「本当にいいもの」をお客様にお届けしたいという思いから誕生してきた商品、日本のもの作りには、ただ消耗するものとは違う、精神的な美意識的な豊かさが息づいているのだと思う。何気なく暮らしのなかにあるだけで、心が豊かになってくるような存在感があるのではないだろうか。
 昨夏、M百貨店で、『ジャパンクリエーションウィーク』という催物があった。「世界で活躍する日本人クリエーター」や「日本の新しい技術」に注目し、今、世界からも注目を集めている日本のクリエーションを見つめ直そうという企画である。その商品を紹介するため、わたしも改めて日本の技術を調べ、クリエーターの思いや作品を掘り下げていった。そのひとつに、奥山清行氏がプロデュース、デザインした鉄瓶があった。奥山氏とは、「イタリア人以外ではじめてフェラーリをデザインした男」として知られるカーデザイナー。海外で30年近く暮らされ、2006年に帰国し、工業デザイナーとしての活動も開始したのである。
 そして、奥山氏が来店してトークショーを行うというので、それに先駆け、山形にある氏の事務所までインタビューに行ったのだった。そこで、奥山氏は「日本には、世界に誇るべき最先端の技術が豊富にあり、それを掘り起こして身近な価値あるものにすること、現代の生活で毎日使えて“いいなぁ”と思えるものを作り出すことがデザイナーの仕事だ」という。そして、日本の技は、マニュアル化して語れるものではなく、もっと精神的に深いところで創意工夫されて生み出されている。だから、より精度の高い技術が生まれ、“この商品、何かいいよね”と日本人の繊細な感性に響くモノが誕生するのだと話してくれた。モノの向こう側には、文化的な豊かさが見えてくるのだと。
 そんな話しを聞き、わたしも奥山氏の鉄瓶(コーヒー&ティーポット)「MAYU(繭)」を、フェア中に購入することにした。そして実際、家のキッチンのテーブルに上に置いてみると、その鉄瓶はそこにあるだけで愛らしく感じる佇まいだった。また使ってみると、清流が流れるような注ぎ口で切れが実にいい。 まさに奥山氏が言うように、“何かいいよね”という文化的な豊かさが香り立つのだった。 山形鋳物1000年の歴史が誇る、他ではマネできない技ゆえなのだという。価格は、税込7,035円と決して安くはないが、 その技と洗練されたデザイン、使い心地を思えば、決して高い値段でもないだろう。
 百貨店には、そんな作り手の思いが伝わってくるような上質で本当にいいものが、より多く並んでいるのではないだろうか。その背後にあるストーリー、文化をも含め伝えてゆくことが、百貨店の存在意義を輝かせてゆくことなのではと思う。それを、どう伝えてゆくか。そこに広告屋の仕事もある。今まさに、80年代とはまた違った、広告制作のあり方が問われているのだろう。 失ってはならない、日本の伝統の技を現代に活かしてゆくためにも、ぜひ伝わってほしいと切に思うのだ。

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