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オダランの夜

 インドネシアを旅していると、経験したことがないのに、はるか昔に見たことがあるような懐かしさ、デジャブのような感覚を呼び起こすことがある。
 バリ島のウブド村に、著書『小さきものの祈り』の取材のために滞在していたときのこと。取材を通して知り合いになったガイドのアグンに、
「今夜、僕の村でオダランがあるから見にこないか?」と誘われた。
 オダランとは、210日ごとにお祝いする、村のヒンドゥー寺院の創建記念日。村人が一体となって神々を迎え、おもてなしする大祭礼である。
 アグンは、ウブドから5kmほど東に向かったところにあるペジェン村の出身だった。そこは、かつて14世紀ころまで約400年つづいたというワルマデワ王国があった場所で、由緒ある寺院が散見できる村だ。なかでも 古代王国の国寺、 バリ6大寺院のひとつと数えられるプラタラン・サシ寺院は、『ペジェンの月』と呼ばれる巨大な銅鼓が奉じられていることで有名だった。しかもその銅鼓、夜空に輝いていた月が地上に落ちてきてドラになったのだという。私もその伝説のドラを見たさに何度も訪ねたものだった。そして、まさにその夜は、プラタナン・サシ寺院でのオダランだったのだ。これは面白そう…。
「もちろん行くわ」私は、迷うことなくアグンの誘いにのった。

 夜、約束の時間になるとアグンはバリの正装姿でやって来た。サロン(腰布)の上にサップ(化粧巻き)をつけ、サファリという白い上着をまとい、頭にウダン(被りもの)をつけている。バリ人は寺院参拝のときは必ず正装である。女性は腰にサロンと帯を巻き、クバヤという長袖のブラウスを着る。そこで、旅人である私もサロンと帯をまとい寺院へと出発した。
 田んぼがひろがる、のどかなペジェン村のプナタラン・サシ寺院につくと、色とりどりの正装姿の人・人・人であふれかえっていた。以前、訪れたときには、人ひとりいない静寂な寺院だったのに、こんなにも村人がいたとは。沿道にも夜店がずらりならんでいた。バリ島の千年昔の都、村の鎮守の神さまのお祭りは実に盛大だった。
 境内では人々が列をなし寺院のなかを3回まわって祈りを捧げていた。祈り終わると、祭司より清めの象徴である聖水をいただき、米粒を額とのど元につけ、ひとくち食べる。そして、次から次へとお参りにくる人々の祈りがつづいていった。一方、村の男たちは神輿をかつぎ運び、本殿に奉納していた。210日ぶりに降臨した村の神々をお迎えしたのである。
 『ペジェンの月』と呼ばれている、直径160㎝、高さ186㎝の青銅製の銅鼓も、その夜、色鮮やかな傘や布で美しく飾りつけされていた。さらにライトアップされてオレンジ色の光に包まれ、なんとも幻想的な雰囲気を漂わせていた。本当に地上で輝く月のようだった。
 実はこのドラ、青銅製の銅鼓としては世界最大級。しかも歴史的にも、紀元前3世紀ころに作られたものらしい。中国南部からヴェトナム北部を発祥として、紀元前4世紀ころから紀元後1~2世紀にかけて東南アジアに広まったドンソン文化、その特徴的な遺物だという。いったい、どうやってこの青銅器文化は、ヴェトナムからここバリ島に伝わったのだろうか。歴史は意外と深い。

 アグンの案内もあり、すっかりプナタラン・サシ寺院のお祭りにとけ込んでいると、時計はすでに夜10時をまわっていた。
「そろそろトペン(仮面舞踊劇)がはじまるよ」
 アグンに教えてもらい舞台小屋へいくと、 きちんと正装をまとった可愛らしい子どもたちが、神々への奉納芸能をまだかまだかと待ちかねていた。
 やがて、カントゥンカントゥン、タンタントゥントゥン…、ガムランの音色とともにトペンがはじまった。仮面をつけた踊り手がゆったり優美に舞いはじめると、子どもたちは舞台にくぎづけだった。ときどき楽屋裏にのぞきにゆく子もいて、なんともほのぼの。そして、仲良し二人組の女の子に話しかけると、「あの人が王さまで…」などと、トペンの物語を教えてくれた。舞台には、次々と王や貴族、大臣などの仮面をつけた踊り手が登場した。
「ねぇ、私ね、あれ踊れるよ」「うん、私も…」
 二人の少女たちのおしゃべりも楽しそうにつづいた。こうして、物語がすすむにつれ、祭りの夜は更けていった。
「ねぇ、眠くないの。もう夜遅いよ」と聞くと、
「大丈夫。いつも12時に寝るんだもん。今は全然眠くないよ」そんな答えが返ってくる。
 そう、子どもたちにとってもその日は、特別な日。210日に一度、神々が村に帰ってくる楽しい村祭り。神々をお迎えし、祈りや供物、さまざまな余興、舞踊、音楽を捧げておもてなしをする、待ちに待った夢のような夜なのだ。そんな子どもたちの嬉しそうな様子を見ているうちに、なんだかふっと懐かしさがこみ上げてきた。
 村の鎮守の神様の今日はめでたい御祭日。ドンドンヒャララ、ドンヒャララ。ドンドンヒャララ、ドンヒャララ……。
 ああ、この村祭りの情景、はるか昔にどこかで見たことがある。東京生まれ団地育ちの私は、経験したことがないはずなのに。でも、このじんわりと心が浮き立つような不思議な感覚は、いったいどこからくるのだろう。小さいころに夢で見た思い出? いや、生まれるずっと前から覚えている記憶のような…。そんな優しい懐かしさがデジャブのように甦ってきたのだった。
(2007.11.12, 新井容子)