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路地裏のバロン

 クニンガンの祝日の楽しみのひとつに、路地裏で出会う子どもバロンがある。その日、地上に降りていた先祖の霊が、ふたたび天界にもどるための祭礼が終わると、村のなかは、いたるところでカントゥン、カントゥン…。二人立ちの獅子舞・子どもバロンと、大小のドラを演奏するちびっ子楽隊が、村中を練り歩くのである。
 このバロンとは、悪や魔を祓う、獅子の形をした森の守護神で、バリ島では、聖獣バロンと魔女ランダの終わりなき戦いを演じる舞踊劇“バロンダンス”が有名だった。3メートルもの巨体をもつバロンが、しなやかに踊る姿は優美絢爛で、何度見ても心ときめくものだ。そして、ガルンガンやクニンガンの祭礼の日には、悪霊を鎮め村を清めるためにバロンが村中を練り歩くのだった。そんな伝統文化を受け継ぎ、子どもたちも獅子や猪などの顔をもつミニバロンに扮して、祝日のおこづかいほしさに家々をまわって舞いを披露するのである。

「バロンよ!」
平穏な昼下がり、 カントゥン、カントゥン…と 近づいてくるその音に誘われ、滞在していたウブドのロスメンの子どもたちは、一目散に家の門まで走り出していった。私も追いかけて出てみると、家の前の細い路地に、子どもバロンとその楽隊が到着していた。やがてその通りで暮らす村人たちも、続々と出てきて見学。カントゥン、カントゥン…、カントゥン、カントゥン…。大小のドラの美しい音色が響きわたり、ミニバロンをかぶった二人の少年が踊り出した。集まった近所の子どもたちは、もうバロンにくぎづけだった。バロン少年も、躍動的な大きな動きを魅せながら踊り、その場をどんどん盛り上げていく。そうしてバロンを楽しんだ大人たちは、2000ルピアくらいのおこづかいを用意されている袋に入れてあげるのだった。
 カントゥン、カントゥン、カントゥン…。
 楽しい祭りの1日。森の守護神バロンは、こうして、いつまでも、いつまでも、踊って、舞って、まわりつづけた。そして、子どもも大人も、心やすらぐ平和なひとときに酔いしれたのである。

 とはいえ、ウブドに滞在していた2001年春、インドネシアはまさに独裁政権から民主化に向けてレフォルマシ(改革)の風が吹いていたころ。赤道をはさんで東西5000キロメートルにわたり約1万3千もの島々が点在するインドネシアは、新しい時代を模索しつつも、先行き不透明となり、経済危機、政情不安、さらに分離・独立運動や、宗教抗争、民族抗争…と、あちらこちらで混乱が起こっているときだった。神々の島バリとて同じで、ルピア暴落、失業増加…と、 ちょっと酷な現実がつづいていた。
 そんななかでの束の間のお祭り、210日ごとに巡ってくるクニンガンの祝日だったのだ。 どうかバリの暮らし、そして世界が平穏で安定したものになりますように…。そんな願いが伝わってくるようだった。しかし、その祈りもむなしく、次のクニンガンのお祭りが巡ってくるまでの210日のあいだに、世界では、驚くべき大きな時代の潮流が姿を現したのである。

 ───2001年9月11日の衝撃。
 ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突入するといった悪夢のようなテロ事件が起こり、その後世界は、21世紀の新しい戦争、「テロとの戦い」へと進んでいった。
 そして、テロ事件の黒幕は、サウジアラビア生まれ、イスラム過激派の指導者となったオサマ・ビン・ラディンであろうと目されるやいなや、イスラム社会はにわかに世界中の関心の的となる。それは、世界最多のイスラム教徒を抱えている国、インドネシアにとっても他人事ではなかった。それどころか、唯一ヒンドゥー教を信仰している島、バリ島までもが巻き込まれることになった。そう、シビアな現実は、ある日突然、海の外からやってきたのである。

 ───2002年10月12日、爆弾テロ事件がバリ島で発生。
 世界中の観光客が集まるバリの繁華街で相次ぐ爆発が起こり、外国人観光客を中心に200名以上の犠牲者を出すという大惨事に発展した。観光の島、楽園バリにとって、まさに晴天の霹靂。精神的、経済的な大打撃は必至となった。さらに2003年に入ると、イラク戦争、SARS(新型肺炎)の影響がおよび、バリ島への観光客の足はすっかり止まったままになった。観光業を中心に生きているバリ人の暮らしは、青色吐息を通りこした事態へとなっていったのである。

 そんななか2003年夏、私は雑誌の取材で、ふたたびバリ島のウブド村を訪ねることになった。 そして、いざウブド村に着くと、そこには想像以上に閑散とした光景がひろがっていた。村の中心を走るモンキーフォーレスト通りも観光客の姿をほとんど見ることができず、そのとき泊まったホテルには、私と同行カメラマン以外は宿泊客がいないというありさまだった。ここまで、きびしい現実が待っていたなんて…。これは、あまりにも寂しすぎる。しかも、その日は210日ごとに巡ってくるクニンガンのお祭りの日だったのだ。
 驚きを隠せぬまま、村をしばらくまわっていると、カントゥン、カントゥン、カントゥン…と、懐かしいドラの音色がどこからともなく聞こえてくるではないか。子どもバロンと、その楽隊がウブド村を練り歩いていたのである。まだまだうまく踊れないバロン少年、演奏もバラバラなちびっ子楽隊もあれば、青年リーダーが子どもたちをまとめて率いているバロン楽隊にも出会った。ただひたすらバロンを上手に踊り、ドラを美しく演奏することに夢中な子どもたち。その変わらない笑顔に、旅人の私は、ほっと胸をなでおろすのだった。
 こうして路地裏で子どもバロンに出会えた幸せは、おそらくそこで暮らす村人たちも同じだったのではないだろうか。まだまだバリは元気です。時代がどんなに変わろうと、どんなにきびしい現実に直面しようとも、美しいバリの文化は、しっかり子どもたちに受け継がれていく。閑散としたウブド村の現実のその奥に、神々の島、バリの本物の姿を見つけたような、そんな安堵感がひろがったのである。
(2007.11.29, 新井容子)