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ボロブドゥールに呼ばれて

 1000年の眠りから目覚め、1814年、熱帯のジャングルの中から姿を現した世界最大級の仏教遺跡ボロブドゥール。発見したのは、当時のジャワ副総督ラッフルズだった。イギリス東インド会社の職員であり、ジャワを治めたことの他にも、シンガポールの創設、また世界最大級の花・ラフレシアを発見したことなどで名が知られている。そのラッフルズによって、ジャワ島中部にある密林の丘の上で、すっかり火山灰に覆われていた巨大な仏教遺跡の存在が、再び世に知らされることになったのである。
 赤道直下の南の島の密林で発掘された、謎の巨大遺跡。もう、それだけで私の旅心はそそられてしまった。今度こそ、何が何でもジャワ島に行こう…。そう強くジャワへと駆り立てられたのは、ちょうど約7年間勤めた広告プロダクションをやめてフリーになった2年目、忙しい東京での日々を抜け出すきっかけをずっと探していた頃だった。
 そうして、引き寄せられるかのように訪ねたチャンディ・ボロブドゥール。その未知なるものとの邂合、仏教大遺跡との出会いは、大きな心のどよめきからはじまった。ジリジリと輝く太陽のもと、優しい風を感じながら緑豊かな参道を進むと、その奥に突如ドーンと巨大な仏教遺跡が現れたのだ。想像をはるかに超えた美しいシルエットを描き出す安山岩の建造物。千年の時を超えて蘇った威風堂々。そして近づくごとに実感してゆく大きさ。高さ35メートル、最下部の基壇は正方形の一辺が約120メートルもある。その基壇の上に5層の方形壇と3層の円壇がのり、さらに最頂部には釣鐘状の大ストゥーパ(仏塔)が天空をあおいでいた。なんて美しいのだろう。

 さっそく正面入口の階段を登り中へ入ると、5層からなる方形壇の回廊の壁には緻密なレリーフが彫られ、1460面ものパネルに釈迦の生涯や仏教にまつわる物語「善財童子の巡礼の旅」が描かれていた。その優美で精巧な表現力に、また驚かされることに。摩耶夫人のもとに白い像が降りてくる物語、釈尊誕生の場面、像に乗って旅する善財童子…、そのひとつひとつが、千年以上も前に彫られたものとは思えないほど、あたたかく表情豊かだったのである。これだけ巨大で繊細な仏教建造物をつくったジャワの人々、その信仰心はさぞ深く大きかったに違いない。
 ところでインドネシアの仏教は、西暦紀元の初め頃から海流に乗ってやってきたインドの商人たちによって伝えられた。やがてインドネシアにもともとある精霊崇拝、先祖崇拝とうまく調和しながら広まっていく。8世紀になると、ジャワ島に大乗仏教、とくに密教を信奉するシャイレーンドラ王朝が現れ繁栄。そして世界最大級の仏教遺跡ボロブドゥールの建立へと発展する。インドより伝来した仏教文化は、ジャワ島でみごとに熟し、豊穣な果実を実らせたのである。
 さて、壮麗で神秘的なボルブドゥールの偉容に圧倒された私は、仏の教え、人はどう生きていくべきかを解きあかしたレリーフが左右の壁に埋め尽された5層にわたる回廊を、一段一段めぐり歩き、上へ上へと登っていった。人の背丈よりはるかに高い左右の壁、主壁と欄楯(手すり)にはさまれた幅2メートルの回廊には、クラクラするほどの熱帯の陽射しが差し込んでいた。そこを一歩一歩、仏教の物語を辿りながら進んでゆく私は、まるで巡礼僧になったようだった。そして最後の回廊をまわりさらに階段を上がると、急に視界がひらけ、小さなストゥーパ(仏塔)が並ぶ広々とした円壇に出たのだった。ああ、なんてことでしょう。こんな美しい世界がひろがっていたなんて…。

 この上層の円壇部分は「無の世界」を表しているといわれているが、その意味をここまで登ってきて、私は自ずと実感したのだった。行けども行けども仏の教えを説きつづける壁に囲まれていた下層の眺めは、ともすると息苦しく、あたかも生きづらい人間界そのもののようだった。その息苦しさを耐え抜けて上へ登ると眺めは一変、360度のパノラマがひろがるのだ。目に映るものは、静かにたたずむ仏塔と、眼下にひろがる椰子の樹海、そしてはるか彼方に浮ぶ山々の峯だけ。まさに熱帯の原風景がどこまでもつづいていた。1200年前の人々も同じ景色を見ていたのだろうか。この雄大な光景を眺めていると、何もかも解放された晴れ晴れとした気持ちに包まれていき、下界での出来事、人間の小さな悩みや苦しみなど全て忘れてしまいそうになる。なるほど、それゆえに、ここは、人間の煩悩からはなれた「無の世界」というわけだったのだ。巡礼の旅のおわりにこそ味わえる、やすらぎの境地なのである。
 そんな円壇上にある72基の小ストゥーパには、それぞれ菱形の切り窓があり、中に一体ずつ仏像が安置されていた。しかしボロブドゥールの中心塔である最上壇の大ストゥーパ(仏塔)の中には仏像はなく、空洞状態だという。もともとここに何が安置されていたのか、いまだ謎のベールに包まれたままらしい。曼陀羅宇宙の中心におわす大日如来か、あるいはストゥーパにおさめる仏舎利か、はたまた王家の霊廟となす王の遺骨か…。人々の想像力を刺激しつづけているようだった。
 それにしても歴史とは不思議なもの。こんなにも巨大な仏教遺跡が、その後火山の大爆発にあい、千年もの永きにわたり火山灰に埋もれてしまうのだから。しかもその間インドネシアは、アラブの商人たちの影響により、そのほとんどがイスラム教へと改宗してゆく運命をたどるのである。
 こうして、さまざまな思いをめぐらす、チャンディ・ボロブドゥール。赤道直下の南の島の密林で発掘された、謎の巨大遺跡。旅人の私も、悠久の時をゆったり漂うかのように平穏なひとときを楽しんだ。しかし、いつまでもそこに留まっているわけにはいかず、ふたたび人間の喜怒哀楽の世界へと戻らなくてはならない。帰りは一直線に階段を降り、再び緑の大地へ。そうしてジリジリと暑い太陽が照りつける史跡公園から、もう一度見上げると、変わらず美しいシルエットを描き出すチャンディ・ボロブドゥールが威風堂々とそびえ立っていたのだった。

 思えばあの時、私はボロブドゥールに呼ばれたのかもしれない。そんな幻想がときどき起ってくる。何はともあれ、このジャワへの旅をきっかけに、私はインドネシアの人々の暮らしを深く知りたくなり、くり返し訪れるようになったのだから。そして、あれよあれよと政変、民主化、宗教抗争、爆弾テロ…と激動の時代へと進んでゆくインドネシアに遭遇。必然か偶然か、歴史の転換期で揺れ動くジャワの人々、人間の喜怒哀楽を目の当りにすることになった。
 そして、その後も何度となくボロブドゥールは私を呼んでくれ、変わらず天空からの美しい眺めを見せてくれた。しかしそれは、晴れの日も雨の日も、また曇りの日もあったのである。
(2008.6.15, 新井容子)


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