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神通力が宿る短剣

「姿が消えて光になるクリス(短剣)もあるんだ」
 ジャワ人の友だちが、真剣な面持ちでそう話してくれたとき、あまりの荒唐無稽さに楽しくなり、思わず笑ってしまった。
「光になるの? クリスが?」
「そうだよ。光になる。光になって宙を飛ぶんだよ」
 クリス(短剣)とは、ジャワ島に伝わる聖なる剣。神通力が宿るプサカ(家宝)として尊ばれている両刃の短剣で、持ち主を護る力があると信じられている。その超自然的パワーは人智でははかり知れないものがあり、刃先を下にして立つとか、空を飛ぶものまであるといわれていた。
 まさか、本気で信じたわけではなかったのだが…。クリスの超自然的パワーを見てみたいという衝動が私の中に芽生え、いつしかジャワ島に行くたびに、「クリスって本当に立つの?」「空飛ぶクリスもあるの?」「見たことある?」と人々に尋ねていた。すると一様に「もちろん本当だよ。クリスには神通力があるから」と答える。しかし、実際に先祖伝来の霊力が宿るクリスを持っている人には、なかなか巡り会えなかったのである。
 ところが、クリスの神秘を探し求めて4年半、ついに機が熟した。時代は21世紀を迎えていたが、先祖伝来の霊力が宿るクリスをもっている人が、知人の紹介で次々と見つかったのである。しかもジャワ歴の新年には、年一度のクリスのお磨きがあるため、その期間なら日本人の私も見ることができると。これはもうジャワに行くしかない。運が良ければ、「光になって宙を舞うクリス」にも遭遇できるかもしれないのだ。

 しかし、困った。どうしたらいいの? 空飛ぶクリスの話しは、たしかにインパクトがあるけれど、証拠がなければ話にならない。たいがいの日本人は納得しないだろう。やはりジャワ島まで見に行くからには、クリスの神秘性の証拠として、せめて「立つクリス」の写真を撮らなくては意味がない。本当に、困ったものだ。そこで、すがるような思いで、写真の師匠であるフォトジャーナリストの楠山氏を訪ねたのだった。
「ですから、クリスが立つとしたら、おそらく夜だと思うのです。しかも部屋がうす暗くて、露出がむずかしいことが想像できます。クリスは金属でできているので、ヘタにストロボをたくと反射してしまうでしょう。先生、どうやって撮影したらいいですか?」
 私は真剣に質問したのである。しかし、師匠はいぶかる表情で
「本気で信じているの?」と、そっけなく。
「分かりません。でも、光になって、フーッと飛んでゆくこともあるらしいです」
 こんなやり取りをくり返したのだった。すると、あきれた雰囲気ながらも優しい師匠は、アレコレ撮影のアドバイスをくれたのである。
 こうして私は、その「一瞬のシャッターチャンス」にかけて、インドネシアへと旅立つこととなったのである。どうか、いい写真が撮れますように…。

「ヨーコ、クリスが立っている!」
 インドネシアの首都ジャカルタ。やっと出会えたクリスの持ち主の家で、突然呼ばれて見に行くと、本当に長さ30センチほどのクリスが細い刃の先端を下にして立っていた。しかも滑りやすいガラステールブの上で。いったい何が起こっているのだろうか…。
 何年も何年も「立つクリス」の話をいろいろな人から聞いてきた私は、アレコレ想像をめぐらしてきたものだった。スーとテーブルの上に立ち、そして立ちつづけるクリス。そんな話はあるわけがない。でも見てみたい。どうやって立つのだろう。キラキラ光り、スーと天空に消えてゆくクリスもあるのかもしれない。でもまさかそんなことが起るはずがない…。どんどんふくらむ想像は実に楽しいものだった。そして、ついに“立っているクリス”の現場に遭遇したのである。超自然的な力によって「立つクリス」、その話は本当のことだったのだ。それにしてもこのクリス、どう挑戦しても立ち続けるものではない。すると、
「クリスが立ちたいと思ったら、一日じゅうでも立っているよ。ユ~ラユ~ラ揺れるときもあるが、今日は動かず立っているなぁ」
 と、バパッ(男性の尊称)はごくごくふつうのことにように話した。えっ 、クリスが立ちたいと思ったら!? もう、完全に理解不能な世界に入り込んでいた。それにユ~ラユ~ラ揺れても倒れないなんて、そんなことできるのだろうか?
「あの、写真撮ってもいいですか?」
 ボーッとしている暇はない。とにかくこの現象をカメラにおさめなくては。
「いいよ。でも気をつけろ。あまり近づくとイヤがるかもしれんぞ」
 バパッはそう注意をした。クリスがイヤがるかもしれない…!? キーンと張りつめた緊張感のなか、どうかクリスが途中でヘソを曲げて倒れませんようにと願いつつ、私はひたすらシャッターを切った。こちらから光をあてて、こうストロボをたいて…。うす暗い部屋のかすかな明かりをうけキラキラ輝きながら立っているクリス。幻想の世界か、現実か。やはり神秘の力なのか。その摩訶不思議な光景は、実に美しく感動的だった。

 撮影後は、いくつものクリスを見せてもらいながら、さらに深く話を聞いていった。
 クリスとは、西暦2世紀ころ、古のジャワで、はじめは先祖の霊や自然を支配している神々へのお供物として作られたものだった。やがてそれは、超自然的パワーをもつ存在として戦闘や儀礼などに携帯する聖なる武器へと発展した。人々もまるで神が宿っている宝物のように尊くあつかい、供物を捧げ、父から息子へと受け継ぐようになった。
「クリスには持ち主を護る力が込められているからな。神からもらった力がね」
 そして、クリスの刃の形は、まっすぐなものと、クネクネカーブしたものとがある。カーブ数は3のものから29のものまですべて奇数になるように作られ、それぞれに意味があるのだという。たとえば、3は「成功の象徴」、5は「人々に愛されるように」、そして13は「平和と安定」。持ち主の願いや希望が込められている。そんななか、クリスの神通力と持ち主の霊的な力のバランスが何よりも重視されるようになっていった。もし分不相応のクリスを持つと、病気や災難などの不幸に見舞われるからだと。つまり、ただ神通力の大きいクリスを手に入れれば、誰もが護られ幸せになれるわけではなかったのだ。
「何でもそうだ。人と仕事の関係も同じじゃないか。ふさわしい能力がない仕事をすれば、バランスが崩れ、仕事はうまくいかない。必ず事故が起る。だから人はふさわしくなるまで勉強しなくてはいけないだろう?」
 その通りだった。何ごとも、つりあい、バランスが大切。それは人と人、人と社会、時代との関係も同じ。こうして私は、クリスの神秘を通して何かを諭されていったのである。

 その後もジョクジャカルタ、ソロ、スラバヤ、マラン、バリ…と旅して、一人ひとり、クリスの持ち主に話を聞いてまわると、それぞれのクリスに宿る不思議な力を語ってくれた。しかもその全てに、同じようにジャワ人の生きるべき道を示す物語が息づいていた。クリスの神秘を通して、ある人は物事の奥にある真理、内面の美しさが何よりも重要だと語り、またある人は先祖から与えられた自分の使命を全うすることが大切だと説く。さらに別の人は信条的には相容れない文化、宗教までも融合する寛容の心を持つことこそが安穏への道と諭すのであった。
 なんとジャワ人はクリスの神秘の奥に、生きるための智慧、勇気、希望を見出していたのである。だからこそクリスに宿る霊力を信じ、大切に守りつづけてきたのだろう。神秘とは、一人ひとりが心の目で感じ、智慧となすものだったのだ。
 おかげで、インドネシアの聖剣<クリス>をめぐる旅は、いくつもの「不思議なクリス」の写真撮影に成功したとともに、ジャワ人独自の人生観、宇宙観、アイデンティティを知る旅となった。詳しくは、著書「小さきものの祈り」でお伝えしている。
 そしてこのインドネシアのクリスも、2005年にはユネスコが呼びかける「世界無形遺産」に選ばれ、今やジャワ人だけの宝ではなく、守るべき「人類共通の遺産」、世界の宝物となったのである。
(2008.6.30, 新井容子)