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イスラムの風景

「アッラーーーーーフ・アクバル  アッラーーーーーフ・アクバル」
「ラーーー─・イラーハ・イッラッラーーーーー」
 その何ともいえない不思議な旋律をもった声を聞いたのは、ジャワ島をはじめて訪ねたときのことだった。まだ夜明け前の暗闇のなか、旅の疲れでぐっすり眠っていると、突然街に響きわたる奇妙な声で私は起こされたのである。朦朧としたまま目をあけるとまだ外は暗く、時計を見ると早朝5時前。一体何が起こったというの? 何もアイディアが浮かばないまま、再び夢うつつに。すると今度は、夢の中にまでその声は響いてくる。それはかつて聞いたことがない摩訶不思議な調べ、得体の知れない声だった。眠りの中まで追いかけてくるなんて、何ものなの? 未知なる世界に迷い込んでしまった恐怖心が、私を襲ってきたのである。とんでもない世界に来てしまった。赤道直下にある熱帯の島、ジャワ島って一体どういうところなの…。
 今でも脳裏によみがえってくる、その声とは、実はイスラム教徒に礼拝の時間がきたことをモスクから知らせるアラビア語の調べ"アザーン"だったのである。
「アッラーフ・アクバル  ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーは偉大なり、アッラーのほかに神はない)
 イスラム教徒は夜明け前の礼拝をふくめ1日5回、お祈りをする。その尊い祈りへの呼びかけの声だったというわけだ。

 思えばイスラム圏への旅は、ジャワ島がはじめての経験だった。世界の人口の5分の1、約13億人いるといわれるムスリム(イスラム教徒)の人々。地球上にそんなに多くのムスリムがいるにもかかわらず、私の人生の中では、まったくといっていいほど出会う機会はなかった。当然、イスラムに対する情報も知識もほとんど持ち合わせていなかった。ましてその時は、ジャワ島にある世界最大の仏教遺跡、ボルブドゥール寺院を訪れるための旅だったため、私はまさかジャワ島でイスラムの暮らしと出会うとは意識さえしていなかったのである。
 実際、ジャワの街を歩いてみても、いわゆるイスラムのイメージである黒づくめのベールに身を包みこんでいる女性に出会うことはない。たまに頭にジルバブ(女性のムスリムが頭にかぶるスカーフ)をまとった人を見かける程度。ほとんどの人は、ふつうの洋服かジャワの民族衣装を着ている。レストランの食事メニューもムスリムが食べられない豚肉料理はないものの、旅するにあたって特別不便を感じるものではなかった。それ以上にインドネシア料理は、独特のスパイスがきいていて、美味しい魅力にあふれていた。それゆえに、ここがイスラムの国であることをほとんど感じることなく過ごせるのである。そう、モスクから流れてくる“アザーン”の音をのぞいては…。

 そもそも7世紀にアラビア半島で興ったイスラムの教えは、アラブの商人によって、赤道直下に浮かぶ美しい島々インドネシアにもたらされた。アッラーの教えに従うことで、救いに至る道、永遠の来世が与えられると約束した教えである。15世紀末には、ジャワ島におけるイスラム化が進み、もともとあったアニミズム的信仰、ヒンドゥー教、仏教などと融和しながらひろまる。以来、インドネシアの島々はドミノ倒しのごとくイスラムが浸透し、今では2億2千万人の人口の約9割がイスラム教を信奉する、"世界最大のイスラム国"となっていた。
「アッラーフ・アクバル アッラーフ・アクバル (アッラーのほかに神はない、アッラーのほかに神はない)
 熱帯の暮らしの中に響きわたるアラビア語の調べ。それは、ジャワ人の生活のリズムを刻むかのように、くる日もくる日も1日5回、モスクから聞こえてくるのだった。
 こうして"アザーン"の洗礼を受けた後も、ジャワ島をはじめインドネシアの島々へくり返し通うようになった私は、自然とイスラムの暮らしに触れるようになっていった。東ジャワのマランという高原都市に語学留学した際は、ホームステイをしたため、ムスリムの家族と同じ屋根の下で暮らすことになった。最初は、知らぬがゆえに少し不安を覚えたムスリムとの暮らしも、いざはじめてみると3日にして不安は杞憂であったことを知った。人々は穏やかで、大らかで楽しく。ふだんの生活も、ほとんど私たち日本人と変わりなかった。朝寝坊をして早朝のお祈りをしない人もいて、1日5回の礼拝が必ずしも厳重に守られているわけではなかった。たまにアルコールを嗜む人もいた。そんなやわらかな信仰をするジャワの人々に、拍子抜けしたような、ホッとしたような親近感がわいてきたものだった。そして、すっかり“アザーン”の声に慣れていった私は、いつしか夜明け前に響きわたる、その声で起こされることもなくなっていた。

 ちょっぴり開いた、イスラム世界への窓。
 静かな祈りの中、平和に感謝しながら穏やかに慎ましやかに日々の暮らしを送っている人々。友だちと呼べる人の中にムスリムのインドネシア人が急に増え、そして月日が積み重ねられていくと、私にとってイスラムの暮らしは、もはやベールに包まれた未知なる世界ではなくなっていった。
 それどころか、2001年に米国で起こった同時多発テロ『9.11事件』を契機に、世界中がイスラム社会に注目しはじめ、さまざまな意見、価値観が交差していくと、つねに世界の流れをイスラム側から見ている自分が存在していた。事の本質、真実とは何か。近代化、物質文明、情報社会、グローバリズムがもたらしたものは何なのか。長い歴史の中でくり返されてきた、戦争、植民地支配、抑圧、貧困、差別、世の不条理とは? そして平和に人々が生きるための智慧、命の重さとは…。

 別の視点が生まれ、そこから見えてくるものを点と点で結んでゆくと、やがておぼろげながら新たなる風景が浮かび上がってくる。ほんの少しイスラムの世界を身近に感じ知っただけなのに、世の中にはこんなにも違う風景がひろがっていたとは…。そして、その未知なる風景が、果てしなくつづいていることも知るのだった。
 世界最多のイスラム教徒を抱えている国、インドネシア。ただ旅をしているだけでは、ほとんど意識することのないイスラムの暮らしだけれど、たしかにそこにはイスラム世界へ通じる大きな窓が開いていた。そして、インドネシアから地球を西へ西へと進めば、マレーシア、バングラディッシュ、インド、パキスタン、イラン、トルコ、イラク、シリア、ヨルダン、パレスチナ、サウジアラビア、エジプト、アフリカ諸国へと、まさにイスラムの世界がずっとつながっている。
「アッラーーーーーフ・アクバル  アッラーーーーーフ・アクバル」
「ラーーーー・イラーハ・イッラッラーーーーー」
 熱帯の暮らしの中で響きわたるアラビア語の調べ。はたして、本家本元、砂漠の国で聞いてみたら、それはどんな風に聞こえてくるのだろう。また、その音色がとけ込んだ暮らしの中には、どんな風景がひろがっているのだろう。ふと、そんなこと考えたりする。
(2008.2.22, 新井容子)