HOME > 5月暴動の爪痕

5月暴動c.jpg

5月暴動の爪痕

 1998年5月14日。この日、どこで何をしていましたか──。
 そう聞かれて、答えられる日本人はほとんどいないのではないだろうか。しかしジャワ人なら、「ああ、あの日は…」と思い出す人がかなり多いに違いない。
 日本でもすべてのテレビのトップニュースがジャカルタでの混乱ぶりを伝えていたあの日、ジャカルタの街は黒煙をあげ騒乱状態になっていた。そして略奪・焼き討ちが発生し、暴動で炎上したショッピングセンターなどの焼け跡から、合計五百人ほどの遺体が見つかった。まさにスハルト大統領辞任直前に起ったさまざまな混乱、5月暴動。この世のものとは思えないほどの悲惨な現実を見せつけられたのだった。 
 そして、日本ではジャカルタの暴動ばかりが報道されたが、実は中部ジャワのソロの街でも同じ日、あちこちから火の手があがり暴動・略奪は一気に拡大、街は一夜にして荒廃した。1746年にマタラム王国の首都となり、今でもそのマタラム王家の末裔であるススフナンとマンクヌゴロの2つの宮廷がある古都ソロ。ジョクジャカルタとともに宮廷文化の中心となす都である。そしてこの暴動後、ソロの人々は心がすさんでしまってホスピタリティーがなくなってしまったと言われていた。あたたかな雰囲気がソロのよさだったのに…。
 そんな思いから、その翌年、私はソロの街を訪ねてみた。さっそく花や野菜、果物などが並ぶ路上市場へ行くと、クバヤ(上衣)にバティックのサロン(腰巻)を身にまとった女性たちが、大きな日除け傘の下で、もくもくと仕事をしていた。その光景は、まさに心の故郷ジャワ。“インドネシアで最も女性が美しい土地”といわれるゆえんはこのあたりにあるのかしら? そして通りには、車やバイクにまざって、ベチャ(3輪の人力車)がスゥーイスゥーイと風をきって走っている。どこか懐かしく、そしてけだるい空気。その通りを、背中に大きなかごを背負ったジャムゥ売りのお姉さんが斜めにわたってくる。のんびり、のんびり、ソロの街。

               ◆

 ところが、大きな通りのところどころには、前年5月の暴動跡が手つかずのままのこっていた。これはヒドイ。なんて、無残な…。ガラス窓はやぶられ、中はガランと何もなく、壁には黒い焼け跡がのこっているスーパーマーケットに銀行。コンクリートの柱と梁しかのこっていないビルもある。そしてそれらは、すべて華人(中国系住民)が所有していたものらしい。ここまでひどかったとは。
 「5月14日の夕方から朝まで燃えつづけたんだよ。どうして中国人だけが、この国で成功をしたのか、富をもっているんだって、みんな怒ってさ。焼いて物を盗んだのさ…」 
 焼かれたスーパーマーケットの前で、パーキングの仕事をしていたおじさんがそう話してくれた。おじさんは、今にもあふれ出てきそうな華人への感情を押さえ込んで話しているように見えた。インドネシアでは、人口のわずか3%しかいない華人が、主な経済活動を握っていることから、何か騒乱が起るたびに、略奪・焼き討ちの標的になってきた歴史があった。
 「ちょうど14日は、学生たちのデモがあるというので、市外からもたくさんの人が見にきていたのよ。街の人も市外からの人もごちゃごちゃだったわ。そして夕方ごろ何か引き金があったようで。その後は、商店やデパートに火をつけ、スンバコ(米、砂糖、卵、油…など生活必需品9品目)をとり、テレビを持ちだして略奪…となったのよ」と、住宅街でワルテル(公衆電話サービスの店)を経営している婦人も説明してくれた。
 「あのころは、物価がどんどん上がっていて。お米も4倍ちかくの値段。もう高くて買えないわ。そしておなかがすくと、人は感情が高ぶってくるでしょう。怒りやすくなる。やっぱり大切なのはスンバコの値段。鳥肉の値段が上がってもまだがまんできるけれど、お米の値段が上がったらもうダメね…」
 つまり、食事に鳥肉がなくてもがまんできるけれど、ごはんまでもが食べられなくなったら、もう限界。人々の感情はどうにもコントロールできなくなる、というのである。怒りの限界線は、空腹度にかかっていると。そしてソロは華人(中国系住民)が多く住む街だったため、その後はかなり経済的な打撃が大きかったようだ。しかし街は徐々に落ちつきを取りもどし、今ではふつうにもどったと教えてくれた。
 政治や経済に対する民衆の不満が華僑問題とひとつになって発生するインドネシア。そのあやうさは、決して他人事で終わらせてはいけないことなのだろう。それは、とりもなおさず世界のどこにあっても起こりうる、異なる民族と民族がともに暮らすあやうさなのだから。そして、人は同じ悲しみをくり返さないためにも、事件の悲惨さへの想像力をもたなくてはいけない。改めて暴動跡の写真を見ているうちに、そのような思いが確信へと変わっていったのだった。
(2008.11.30, 新井容子)