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マージナル


「ジャカルタで活躍している面白い歌手が来ているから紹介するわ」
 それは2009年1月、インドネシアの首都ジャカルタにある人気のバー「ニュージアム・カフェ」でのことだった。
 インドネシアの報道の歴史博物館であり、報道や政治、自由について議論しあう“文化の家”でもある「ニュージアム・カフェ」。壁には、インドネシアで発行された歴代の新聞や雑誌の表紙がアートとなって飾られていて、ジャーナリズムと芸術の融合を感じさせていた。そしてバーのカウンターには、ジャーナリストや絵描き、ジャワ文化に詳しい会社役員など、個性的な面々が集っていて、そこに日本から来た私も参加して、おしゃべりを楽しんでいたのである。
 そんなとき紹介されたのが、ジャカルタで活躍するパンクバンド「マージナル」のリーダー、マイクだった。案内されたテーブル席には、ビンタンビールを片手に談笑している2人の男がいた。その一人は、長い髪の毛を細かく三つ編みにしたブレードヘアで、腕にはタトゥーを入れていた。どうやら彼が、マイクのようだ。
 インドネシアのパンクバンドに詳しくない私は、マイクがどんな活動をしているのか分からぬまま同席した。が、いざ話し出すと、マイクはその出で立ち、パンク歌手というイメージをあっさり裏切り、優しく甘いマスクで理路整然と現代社会を語る、じつに感じのいい好青年だったのだ。

 マイク・マージナル。1975年、ジャカルタ生まれの34歳(当時)。1996年、21歳のとき、南ジャカルタにある美術大学で出会った仲間とネットワークをつくり、スハルト時代の独裁政権に抵抗するための表現活動、アート制作や、路上でのバンド活動をはじめた。そして1998年、スハルト体制が崩壊すると、バンド名を「アンチ・ミリタリー」から現在の「マージナル」へと変更。1993年に起こった「マルシナ事件」──最低賃金の引き上げをめぐって交渉し闘い殺された女工、マルシナの名前からインスパイアされ、“ぎりぎりの・最低限度で生きる人”という意味をもつ「マージナル」にしたのである。

「スハルトが退陣する前後のデモや、レフォルマシ(改革)のときのデモで、僕たちの歌がよく歌われたんですよ。歌は、社会や政治について歌ったもので、僕たちの希望を込めたものなのです。みんなの正義や平和、社会の状況が良くなりますようにとね」
 マイクは淡々と語り出した。
「でも、スハルト時代に社会や政治のことをストレートに表現するのは、とても難しいことだったでしょう。あり得ないことだったのでは…」
 私はちょっと驚いて、マイクに聞き返した。当時大学生だったマイク。彼らの世代は、まさに『新しい大統領で、嵐はすぎる』といった横断幕をもってスハルト大統領の退陣を求めるデモをはじめた人たちだった。大統領を侮辱する程度のことでも国家転覆罪に問われる時代。大人たちはひねりにひねった表現で、コツコツと政府への不満を訴えていたが、学生たちは直接的な表現で政府批判を訴えはじめ、時の流れを大きく変えていったのである。
「スハルト時代はもちろん表現に干渉が入る時代でした。多くの文化人や団体の活動が脅かされていました。権力と向かい合わなくてはならなかったから。そこで僕たちは歌を作って、インディーズでアルバムを出したのです。自主制作して、自分たちでレコーディングもミキシングもして、販売もしました。外部からの介入が入らないようにね。もし僕たちが他者と関係をもったら、結局は外部の人間に制限されてしまう。歌詞を見て、活動に制限をかけるだろうし、おそらく、彼らは経済的なことも口を出してくるでしょう。これじゃ売れない、これは危険だと。そういうことが分かっていたから、僕たちは自分たちですべてをやろうと決めたのです」
 いったいどんな歌を作ったというのだろう。そこで、1998年にマージナルが出したアルバムの歌詞を教えてもらうと、驚いたことに、想像以上に直接的な表現で社会の理不尽さを訴えていたのである。

──人々は、圧力をかけられて黙った
  人々は、脅迫されて黙った
  人々は、拷問をうけて黙った
  人々は、銃殺されて黙った
  黙るな、圧力をかけられても
  人々は、抵抗するために路上に降りた
  人々は、圧政を倒すためにひとつになった
  人々は、主権を奪い取るのだ
  人々は、自由を奪い取るのだ ──(「敵と勝利」)

 あの言論統制のきびしい時代に、20歳そこそこの青年が、堂々と政府批判を歌にしてアルバムを出していたのだった。こうして結成から12年、インドネシアで民主化が進んだ今も、マージナルは自分たちで自主制作した作品を自ら販売し、路上でライブ活動をし、社会の不平等や貧困問題などを訴えつづけていたのである。
「僕たちは、まだ働く年齢になっていない子どもたち、本当だったら遊んだり勉強したりしているはずの子どもたちが、ふつうの子どもの社会を捨てて、不良少年グループたちと路上で暮らさざるを得なくなったのをたくさん見てきたんです。その子たちは稼がなくちゃならないから、脅迫的な処遇を受けたり、刑務所に入った子も少なくなかった。そういう現場を僕らはたくさん見てきたから、それを歌詞にしました。その歌を通して現実を人々に知ってもらおうと思ったのです。本を書いたり、ニュースを報道したりするのと同じですよ。僕たちは歌を通して報道するのです。僕たちはニュースを伝えているのです」

──これが現実さ、たくさんの子どもが学校に行けない
  街の真ん中で、ことのほか村のはずれで
  何百万もの国の子どもが学校に通い続けることができない
  教育費がどんどん狂ったように高くなるからさ
  ヘイ、ヘイ、ヘイ、教育よ
  金至上主義の企業じゃあるまい
  ヘイ、ヘイ、ヘイ、教育よ
  空虚に満ちた形式主義じゃあるまい

  どうやら、教育を受ける権利はみんなにあるらしい
  法律ってやつに保護され保証されているものらしい
  ヘイ、ヘイ、どこにその証拠があるのさ、あるのはゴミばかり
  結局、学校に行けるのは金持ちだけなのさ
  教育が…高すぎる
  教育が…高すぎる
  教育が…高すぎる
  教育は…ビジネスの犬だ、そう犬だ!

  この国の教育は何も変わらない
  植民地時代と同じさ
  庶民は学校に行けない国なのさ
  学校に行けるのは金持ちだけ
  教育よ、みんなのために無料になれ ──(「僕は無料の学校がほしい」)

 こうして音楽で、歌で、世論を喚起しようとしているマージナル。その活動は、さらに多岐にわたっていて、マイクの話はどんどん面白さを増していった。おかげで、「ニュージアム・カフェ」でのコミュニケーションは、深夜までつづいていったのである。

 いやはや…。あのとき、今から6年前は、マイクの語った理不尽な現実社会を、インドネシアの、ひいては世界における民主化が達成されていない国の問題としてしか考えていなかったけれど。「言論の自由」が脅かされそうになっている今の日本に立ってみると、パンクバンド「マージナル」が訴えているメッセージ ──「僕たちは歌を通して報道するのです。僕たちはニュースを伝えているのです」は、もはや他人事ではなく、自分たちにも突きつけられている課題なんだと感じずにはいられなかった。
 真のジャーナリズムとは何か。言論が弾圧されたら、どうやって表現していくのか。“ぎりぎりの・最低限度で生きる人”になっても、ジャーナリズムの燈火は消してはいけない。今改めて、そんな思いになっていくのである。(2015.4.17, 新井容子)