謝罪する宿命   

2015年8月24日

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 私は先の戦争には直接関わりのない時代に生まれてきたけれど、謝罪する宿命を受け入れ、実際に謝りつづけてきた。そのことを、安倍首相の戦後70年談話を聞いて改めて思い出した。

 ライターとして、インドネシアを取材するようになり20年。インドネシアは第二次世界大戦時、日本が資源を求めて侵攻し植民地支配した国。何度も足を運び、交流を重ねるなか、行く先々で当時のことを語る人々と出会った。
 東ジャワでは、「日本の敗戦後に、日本軍とともに村人全員が玉砕した」という農村を訪ねた。「なぜ全員死んだのか、その理由は未だに解明されていない」という。玉砕という名のもとに集団自決したのではあるまいか。そんな想像もめぐる。村にある小さな山を登ると、頂には要塞・見張り台が残っていて、そこからジャワ島の南側にひろがるインド洋がよく見えた。先の戦争に思いを馳せながら静かに南の空と海を眺めていると、はるか彼方から近づいてくる戦闘機や軍艦の姿が鮮明にイメージでき不思議な気持ちになった。そして、「この要塞を作ろうとしたのはニッポン人。ロームシャ(過酷な重労働を強いられた人々)はインドネシア人」と、要塞まで案内してくれたジャワ人の友人に言われた。その末の玉砕だと。
 バリ島のある村では、インドネシアの独立戦争を記念する塔が建てられており、「第二次世界大戦のとき、日本軍はやってきて、あそこで見せしめに一人の僧侶と3人の村人の首を切ったんだ。そのことはみんな覚えているよ。いや、忘れないためにあの塔をつくったんだよ」と村人に教えられた。戦争の悲劇、同胞の残虐さに私は胸が苦しくなり、涙がこぼれた。そして、心よりの謝罪をした。すると村人は、「なぜ泣くの?あなたの責任ではない。昔のことは忘れてはイケナイけど、年寄りたちも今の日本人のことは好きだよ」と言ってくれた。
 それでも私はその後、過去の悲劇を語る人と出会うたびに謝りつづけてきた。インドネシアの人々と真の友人になりたいと思えば、相手の悲しみや苦しみは自然と自分事となる。同じ人間として、「謝罪」は自然と沸き上がってくる気持ちだった。犠牲になられた尊い命への祈りでもある。その積み重ねから生まれた相互理解と友情は、今や私にとってかけがえのない宝となっている。