ジャカルタ 爆弾テロ   

2016年1月31日

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 2016年が静かに開けた。
 世界がどんどん悪い方向に進んでいるように感じられた2015年。はたして新しい年はどんな1年になるのだろうか。どうか、どうか、この地球上で、戦争やテロによって穏やかな日常が壊される人々が、少しでも少なくなりますように……。そう、祈るばかりだった。
 ところが、そんな願いをよそに、年明け早々飛び込んできたのが、ジャカルタでの爆弾テロのニュースだった。

 1月14日木曜日。場所は、私もよく知る、ジャカルタ中心部にあるサリナデパート前。この爆発で3名が死亡したという。いったい誰が、何のためにテロを起こしたというのか。
 フェイスブックを開くと、ジャカルタで暮らすインドネシア人の友人たちが「私は無事です」というメッセージを発信していた。ひとまず安堵するものの、何とも残念な気持ちになった。
 2002年のバリ島での爆弾テロ事件以来、私は何度もインドネシアでのテロ事件の現場を取材してきた。そこで暮らす人々の思いを聞き、その時、何が起こっていたのかを見つめてきた。インドネシアは、世界最多のイスラム教徒を抱える国。人口約2億5千万人、その約9割がムスリムだった。その多くは、静かな祈りの中、穏やかに日々を暮らす人々である。しかし、わずかながら強硬派がいて、「イスラム教徒が、アフガニスタンやイラクなどで米国とその同盟国に抑圧、虐殺されている」という理由から、インドネシア国内でも、欧米人が集まる場所を標的に爆弾テロを起こしていたのだ。実際に大きなダメージを受けたのは、自国インドネシア人の暮らしであり、一般的なイスラムのイメージだったのだが……。
 しかし、インドネシアのテロ対策が強化されるなか、テロ勢力は弱体化し、2009年7月にジャカルタにある米系高級ホテルで起こったテロ以来、大規模なテロは発生していなかったのである。
 そんななかに起こった、今回のジャカルタでの爆弾テロ。懸念どおり、過激派組織「IS(イスラム国)」が犯行声明を出し、「IS」の戦闘員となったシリア滞在のインドネシア人、バルーン・ナイムが主導した犯行ではないかとのニュースが流れた。日本のマスコミも、東南アジアで起こった初の「IS」関連のテロ事件だと報道した。
 ついに「IS」の影響によるテロが、インドネシアで起こってしまったのか……。バリ島の爆弾テロ事件から約13年。世界状勢は大きく変わり、平和なイスラム社会を脅かす恐怖は、また新たなる局面に突入していたのである。

 元々、インドネシアのイスラム強硬派(ジェマ・イスラミア「JI」など)は、1940年〜60年代前半にかけて興った、「インドネシア・イスラム国家」の樹立を目指す『ダルル・イスラム運動』に傾倒する人々の流れだった。20世紀の終わりに、このイスラム主義運動を禁止したスハルト独裁政権が崩壊したことで、海外に逃亡していた活動家たちが帰国し、ふたたびインドネシア国内で息を吹き返した思想の系譜である。
 つまり、彼ら強硬派は、イスラム社会を脅かす西洋文明が敵だとしつつも、究極の目的は、シャリーア(イスラム法)に基づくイスラム国家をインドネシアに樹立することだった。
 そして2014年6月に、中東で「IS(イスラム国)」の最高指導者アブバクル・バグダディがカリフ(預言者ムハンマドの後継者)に即位し「イスラム国」樹立を宣言すると、インドネシアにおけるいくつかの強硬派グループが、直ちに「IS」支持を明らかにしたのである。シリアに渡り「IS」の活動に合流したインドネシア人戦闘員も400人を超えるといわれている。そして、戦闘員をシリアに送るための資金援助するインドネシア人実業家、チェップ・ヘリナワンという男まで登場し、「世界中でムスリムが虐待されていることに、怒りを覚えたんだ。若い戦闘員はジハードをしたいと言って私のところにきたんだよ」と語っていた。
 こうして、遠い中東で生まれた「IS」の脅威だったにもかかわらず、その余波は、国境を軽々と超え、たちまち東南アジアにある世界最多のムスリムを抱える国にまで影響を及ぼし、共振していたのである。

 一方、「IS」の存在を認めないインドネシア政府は、爆弾テロ後直ちに
「インドネシア国民はテロに屈しないでほしい。我々はテロを恐れない。なぜなら、テロリストの目的は、インドネシア国民を恐怖に陥れることだから」と表明した。
 その数日後、ジャカルタに住むインドネシア人の友人にも様子を聞いてみると、
「警戒は必要だけど、一般のジャカルタの人々は、テロの脅威を恐れていないわ。ISは、イスラムの教えから外れている人たち。インドネシアでISに共感している人は、ほんのわずかよ。だから、私たちはもう普通の生活に戻っているわ」と話してくれた。
 私たちは恐れない──。
 この言葉は、SNSでもどんどん拡散されていた。なかには、「私たちは恐れない、妻以外は」という言葉まであり、笑いを誘った。これぞインドネシア人のユーモア。彼らはいつも悲惨な出来事でさえ、ユーモアをもって乗り越えていくパワーをもっていた。

 実際、爆弾テロそのものは、サリナデパート周辺の、警察詰所とコーヒー店「スターバックス」で何度かの爆破と銃撃戦が繰り広げられたものの、被害は小さく、テロ実行犯4人を含む8人が死亡、26人が負傷したという小規模のものだった。「IS」が犯行声明を出したとはいえ、中東やヨーロッパで起きた爆弾テロと比べると、その実行力は劣り、計画性も乏しく、訓練を受けていない素人による犯行だったと言われるようになった。テロ発生時の映像を見ても、スターバックスの駐車場で死亡したテロ実行犯2人は、自爆ではなく、誤爆によって命を落としたのではと思われる節まであった。じつに不可解な点が多い事件だったのだ。それでは、なぜテロは起こったのか。ネット上でも、さまざまな憶測がささやかれていた。
「インドネシア社会の反応を見るために、試しのテロが行われたというウワサも流れているわ」とジャカルタの友人も語ってくれた。テロの恐怖に対してインドネシアの人々がどう反応するのか、それを見るために、尊い8人の命が奪われたというのか……。どんなに規模が小さなものであれ、テロ行為は許しがたきこと。奪われていい命などあるはずがない。
 さらにやり切れないのは、テロ実行犯となった人々の家族や地元の人たちが、「まさか彼がテロを起こすとは」「無口で優しい人だったのに……」(KOMPAS)などと証言をしていることだった。近所では「いい人」だった人間が、ある日突然、テロ実行犯となっていたのだ。
 なぜ、どうして……。3人の小さな子をもつ、優しい父親でもあったテロ実行犯もいたという。残された家族の苦悩はいかばかりか。「父親が犯人でも、家族は関係ないわ。今後も彼の子どもたちと、ウチの子は一緒に遊ばせるつもりよ」(KOMPAS)と近隣住人が語っていたのが、せめての救いだった。
 それにしても……。穏やかな普通の市民がテロに駆り立てられる、あるいはリクルートされてしまう背景には何があるのだろうか。「IS」の脅威から世界が解放されるためにも、その過激思想を育む背景を、奥の奥まで見つめ、受けとめていく覚悟が大事なのではないだろうか──。

 2016年、世界はますます国境を超えて、さまざまな思い、喜びや憎しみ、願い、正義、イデオロギーが交差していきそうだった。ひとりの人間として、何ができるのか。同じ人間として、異なる正義や、思想をもつ人々とどう向き合っていくのか。また同じ地球上で戦争やテロの犠牲になってしまう人々のことを、どう自分事として受け止め、感じていくのか。ますます問われる年になりそうだった。