
朝から曇り空。ミスト状の雨が降っていた。
私は、家の近所を軽く5kmジョギングをして、その後、北京で開催されている「世界陸上」の女子マラソンをテレビで観戦した。いたってふつうの日曜日の朝だった。しかし、42.195kmのレースを見届けたのち、午後は、「安保法案」に反対する抗議行動の取材をしに、国会前に出かけていった。
マラソンからデモへ。そのふたつの行動は、一見、異なるもののように見えるけれど、私のなかでは決して矛盾するものではなかった。ともにふつうの日常生活の延長線上にあり、ともに私にとっては大切なことだった。7月、8月と、何度となく国会前抗議行動を取材したけれど、デモ参加者の多くも、同じようにふつうの日常のその先にデモがあるようだった。直感的に「このままじゃマズイ」と感じた人たちが、「少しでも自分の反対の意志を示したい」という気持ちから国会前に集まってきていた。何も革命を起こそうとしている訳ではない。
桜田門駅を降り地上に上がると、すでに国会議事堂に向う歩道は大渋滞となっていた。「安保関連法案に反対するママの会」が「だれの子どももころさせない。」の横断幕を掲げて立っている。早稲田大学有志の会ののぼりも見える。創価学会の人たちは、公明党に対しての署名を求めている。そこを通り過ぎたあたりで、一歩も前に進めなくなった。国会正門前・北庭角にある抗議ステージからのマイクで、「今日何かがあったら行動が台無しになるので、くれぐれも事故のないように」「非暴力で」といった注意が促される。その声を聞きながら、人々は黙々と列に並んでいた。黙々と。
しかし参加者の数が増えつづけると、突然誰かが「道路をあけろ」と警察官に訴えた。その声は徐々に大きくなる。車道を見ると、すでに人々は溢れはじめていた。鉄柵で抑えられていて道路に出られないようになっていたのに、どこから流れ出したのか。そうしてしばらくすると、思いがけず警察側から「道路を開放しました」とのアナウンスが流れた。一瞬どよめきが起こった。そして、一斉に鉄柵が外され、決壊。人々は次々と車道に出ていった。時計を見ると、1時46分だった。
その後はあっと言う間に車道は人々で埋め尽くされた。一瞬の出来事だった。人々は国会議事堂を真っ正面にして前へ前へと進む。国会議事堂の写真を撮る人、ドラムを叩く音。皆、前へ前へと進む。すると警察官と市民とが激しくもみ合っている場面に遭遇する。男が取り押さえられているようだが、多くの警官に取り囲まれていてよく見えない。しかし、やっと立ち上がったその男は、若い警察官の姿だった。その横でサングラス姿の一般市民が怒号を放っている。何が起こっていたのか、状況はつかめぬまま。偶然居合わせた市民は、「帰れ!帰れ!」と警察官に向って叫びはじめる。
「帰れ!帰れ!」「帰れ!帰れ!」。
市民が警察官を突き倒したことがきっかけのようだったにもかかわらず。
少しずつ前に進むと、「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基さんが、脚立の上に立ちトラメガを肩に担いでコールをしていた。群衆が埋め尽くすなか、ひときわ高い位置から叫んでいる。顔はくしゃくしゃで真っ赤だった。マイクを持つ右手を上下に大きく振りながら叫んでいる。
「安倍はやめろ! 安倍はやめろ!」
その声に合わせて、小さなトラメガを持つシールズメンバーが呼応する。一般の人たちも一緒に声をあげる。私は写真を撮ろうと思うが、多勢のカメラマンや人々に取り囲こまれていて近づくことはできない。奥田さんはそんな周囲を気にすることもなく、遥か彼方を見つめながら叫んでいる。はたして、彼にはどんな景色が見えているのだろう。車道一面を埋め尽くした人々を見て、何を感じているのだろう。
そして、「安倍政治を許さない」というプラカードを身体につけている人。「私たちは、誰も戦争なんて望んでいません」「9条壊すな」といったプラカードを掲げている人。みんな国会議事堂に向かって進んでいく。その波・波・波に押されて私も、国会正門前の横断歩道上にはられた規制線、その最前列まで進んだ。鉄柵の向こう側には、警察官がずらり二重になって並んでいる。すごい人数だ。顔を見ると、まだ若い。
しばらくすると、いくつもの白黒風船につられた「安倍やめろ」の横断幕が、ふわりふわりと前に進んできた。ふわりふわり、ふわりふわり。鉄柵のところまできて止まった。白黒の風船。それが何を意味するのか、想像はつく。上空にはヘリコプターの姿も見える。
ここで、私は完全に身動きがとれなくなった。北庭角のステージ前まであと20メートルくらいなのに一歩たりとも動けない。抗議行動が開始して30分が経過していた。
ステージでは、スピーチがつづいていた。その声だけは私のいる場所にも届いてくる。周りの群衆も耳を傾け、「そうだ!」と叫び、プラカードを振っている。
ちらちらミストのような雨が降り出した。それでもデモ参加者は増えつづけていった。私は、ますます身動きがとれなくなり鉄柵に寄りかかった。その鉄柵を、何人もの警察官が両手で支えている。不思議な光景だった。スピーチを聞きながら、彼ら警察官の人たちは何を考えているのだろう。インタビューしようかと思ったがやめておいた。あの場では、本音など聞けそうもない。
雨が強くなるなか、ステージでは、森村誠一氏、小沢一郎氏、そして坂本龍一氏も登壇してスピーチをした。よく知る名前に人々はどよめき、喝采を送る。一方、開放された車道の中では、遠くからシールズのコールが聞こえてくる。
「安倍はやめろ、安倍はやめろ、安倍はやめろ…」。
何時間叫びつづけているのだろう。そこには、高校生の姿もある。
そして、雨は降りつづいた。傘をさす人も増えていくなか、デモ参加者は12万人になったと発表された。