
「安倍首相、私たちの声が聞こえていますか。この国の主権者の声が聞こえていますか?」
小雨が降る中、群衆の向こう側からスピーチの声が聞こえてくる。大阪からきた大学生、寺田ともかさんの演説だった。
2015年8月30日(日)──。約12万人もの人々が、国会前での「安保法案」反対を訴える抗議行動に参加していた。戦後一貫して禁じてきた集団的自衛権の行使を認める法案となる、「安全保障関連法案」─「安保法案」。前月7月に衆議院で可決され、翌9月には参議院でも強行採決されようとしていた。そんな中、人々は、この法案を通してはいけないとの思いで、国会前デモに集まってきていたのである。
私も、12万人の群衆の中の一人だった。しかし、デモ参加者が増えつづけるなか、国会正門前の横断歩道手前の鉄柵のところで、全く身動きがとれなくなっていたのだ。スピーチが行われている北庭角のステージまで20メートルほどだったが、一歩たりとも動けなかったのである。
ともかさんのスピーチは、聴衆を引き寄せる力があった。彼女がつむぎだす言葉は、ものすごい迫力で、心にぐんぐん迫ってくる。周りの群衆も、彼女の声に耳を傾け、「そうだ!」と叫び、うなずいていた。
「70年前、原爆で、空襲で、ガマの中で、あるいは遠い国で餓死し、失われていったかけがえのない命を取り戻すことができないように、私はこの法案を認めることによって、これから失われるであろう命に対して責任を負えません。私が払った税金が、弾薬の提供のために使われ、遠い国の子どもたちが傷つくのだけは絶対止めたい」
そうだ!
「人の命を救いたいと自衛隊に入った友人が国防にすらならないことのために、犬死にするような法案を、絶対止めたい!」
そうだ!
「国家の名のもとに人の命が消費されるような未来を絶対に止めたい」
そうだ!
「敵に銃口を向け、やられたらやるぞという威嚇をするのではなく、そもそも敵を作らない努力を諦めない国でいたい!平和憲法に根ざした新しい安全保障の在り方を示しつづける国でありたい。私はこの国に生きる人たちの常識ある判断を信じています。国民の力をもってすれば、戦争法案は絶対止めることができると信じます」
拍手!
「いつの日か、ここから、今日、一見この絶望的な状況からはじまったこの国の民主主義が、人間の尊厳のために立ち上がる全ての人々を勇気づけ、世界的な戦争放棄に向けてのうねりになることを信じ、2015年8月30日、私は戦争法案に反対します」
そうだ!拍手!
*
熱のこもったスピーチが終わった後も、雨はしとしと降りつづいていた。それでも、国会前デモの群衆は雨がっぱを着てプラカードを振り、抗議活動をつづけていた。またその場を離れる人もいて、少しずつ身動きがとれるようになってきた。そこで私は、群衆の中に埋もれている、小さな声を聞いてみることにした。
お立ち台の上での迫力あるスピーチとは異なり、自らの声を外に発していいものかと、ためらう人びとも、そこにはじつに多くいたのだった。
12万人の中の一人──。雨に濡れたまま、法案反対のプラカードを持って、じっと国会議事堂を見つめている青年がいた。いつもは関西でのデモに参加しているという大学生(22歳)だった。関西の若者約100人とともに、バスで東京まで来たという。その日、彼はどんな思いで東京のデモに参加したのだろうか。
「安保法案が、衆院で強行採決され、参院でも審議が不十分なまま通されようとしているので、今まで以上の危機感をもっているんです。ここで自分が国会前デモに来なかったら、自分の中でも示しがつかへんし、日本に住む一人の人間として、自分の意見をアピール、表明することが、今何よりも求められていると感じたので。自分は今日東京に来ました」と話す。
そして、なぜ「安保法案」に反対するのかを、滔々と語り出した。
「憲法に違反している疑いが高いのに、憲法改正の手続きを踏まずに、法案を通そうとしていることが、一番の問題だと思っています。また、集団的自衛権というのが今本当に必要なのかということに関しては懐疑的なんです。中国の脅威論などが報じられていますけど、実際はどうなんや。感情に流されて、何かあらぬ方向に軍拡したら、相手も軍拡してくる。資金レースのループになっちゃうんで、どっかでこれを止めないとアカンと思うんです。
それに、集団的自衛権を認めることによって、アメリカの戦争に加担していくことにもつながります。反アメリカのテロリストから見たら、日本は加担する国になる。今度は日本も標的になるんですよ。自衛隊員の方だけでなく、日本の中で生きている自分たちの問題になるんです。
あと自分は今大学生で、就職は内定をいただいたんですけど。奨学金をもらっているので……。月に5〜6万円もらっています。しかも利子付きの返済ローンを。だから、将来、もし自分が失業して経済的に困ったら、自衛隊に入るかもしれない。そう考えたときに、安保法案は遠い問題ではなくて、自分の身にも降りかかることなんだと思って。
だから……。安保法案については、やはり自分のこととして受け止め、この法案に反対していきたいと思っているんです」
〝安保法案は、遠い問題ではなく
自分の身にも降りかかること〟
12万人の中の一人──。川崎から来た60代の女性は、地元の50代、60代の人たち十数名で一緒に国会前まで来たという。
「もうこんなね、ひどい法案を通したらね、これからの日本がダメになる。若い方たちが本当に戦争に出なきゃいけなくなる。ま、徴兵制はしないと言っているけど、貧困層が、子どもが、若い人たちがね。派遣だったり、収入が少なかったりすると、アメリカのように戦争に行かざるを得ない状況が出てくると思うんです。本当に今これを止めないと、日本はダメになるなぁという強い思いで、今日は参加しました」と話してくれた。
〝こんなひどい法案を通したら
若い人たちが戦争に出なきゃいけなくなる〟
12万人の中の一人──。冷笑主義で、一種のニヒリズムだと自称する東京の大学生(21歳)に出会った。今回はじめてデモに参加したというが、その青年は、慣れた雰囲気で一眼レフのカメラでデモの様子を撮影していて、一見、マスコミの人間かと思ったほどだった。
「もともと法案に関しては反対でした。自分自身も、イラク戦争とか、ベトナム戦争とか、戦争に関して、ずっと他人事じゃないと思っていたから。映画を観たり、セミナーに参加したりして、戦争のリアリティを感じていたので、やはり安保法案には反対だったのです。
けど、正直言って、デモとか、こういう活動は、あまりいいものだと捉えていなかったんです。デモをしても何も変わらないよと。ま、世の中のほとんどが、こういう政治や経済に無関心で。何て言うんでしょう。明日食っていければいいやという感じですからね」
それでも、今日、国会前まで来たのは、同世代の「SEALDs(シールズ)」の人たちの活動などを見ているうちに、彼らの純粋な思いや、熱意を感じて、自分も一度、デモを見ておこうと好奇心が湧いたからだという。
「実際来てみて、まずこの人の多さにびっくりしたというのが第一印象です。これだけ雨が降っていても、これだけの人が集まっている。歩道だけじゃなく、車道にも人が出ているじゃないですか。それも、思った以上の熱気で……」
12万人もの人が集まったというその日のデモ。現場に来て、その熱量に圧倒されたようだ。で、人が団結して行動を起こせば、何かが変わるかな。実際、行動を起こさないと何も変わらないよなと、感じはじめたのだと話す。そんな彼にとって、イラク戦争は、彼が小学生のころの出来事だったはず。どうして戦争に興味を持ちはじめたのだろうか。
「ええ、小学生でした。はじめ、テレビで小泉首相とブッシュ大統領がキャッチボールするのを観て、なんだこの感じは? と、その時から不信感を感じていたんです。その後、イラク戦争が起こって。段々と調べていくうちに、いろいろ分かってきた。このまま何も知ろうとしなければ、一生騙されつづける。あとで地獄を見るのは嫌だと、どんどん追い詰められていきました。このままだと、社会情勢は最悪の状態になるなと。一種のニヒリズム的というのでしょうか。
ええ、こういう考えはあまり周りの人には言いません。大学の中でも、自分みたいのは、かなり特殊ですから。みんな、スポーツとか、芸能に関しては盛り上がっていますが、戦争に関しては一切ないですね。それも仕方がないことだと思ってきました」
でも……。それでも最近、少しずつ意識が変わってきたのだという。
「この場に来ることもひとつだけど、やはり周りにジワジワと伝えていかないとと、思いようになりました」
何を伝えるの?
騙されてはいけない。戦争をしないように、行動しよう──。そう彼は答えた。
“このまま何も知ろうとしなければ
社会情勢は最悪の状態になる”
12万人の中の一人──。大きいデモがあるというので、少しでも安保法案に反対という意志を表したくて、ひとりデモに参加したという女性(東京・30代)は、
「ちょっと、こういう話はしにくいので、友達を誘ったりはしません。一人で来ました」という。
「安保法案は、違憲だと言われているのに強行採決したところに反対ですし、戦争に巻き込まれる可能性があるのも反対です。私の祖父にあたる人の弟が、兵隊で戦争に行って、帰ってきてから精神的におかしくなったんですね。そういう話を聞いていて、やはり怖いですよね、戦争は。で、私、憲法9条は誇りに思っているのです。憲法9条のことを、小学校で習ったときに、ああ、日本人でよかったと思いました。それが変わってしまうかもしれないのです。それが怖いんです」
“憲法9条は誇り。
日本人でよかったと思いました”
12万人の中の一人──。戦後70年つづいた“国のカタチ”が変わろうとしていることに危機感を覚えた50代男性(東京)は、今回はじめてデモに参加したという。
「やはり安保法案を止めなくてはいけない。基本的に戦争するための法律だからです。日本の自衛隊が海外に出て、殺したり殺されたりすることになりますからね、絶対に止めなくてはなりません。戦後70年つづいた、日本の自衛隊が“戦闘で人を殺していない”ということが、ここで終わりになるかどうかの瀬戸際なんです」
だから、何としても安保法案を止めようと思い、デモに参加したのだと語る。実際、デモに参加してどう感じたのだろうか。
「すごく感動しました。自分が若いときにはこんなことできなかったんで、今の若い人はすごいなと思いましたね。創意工夫もあって」と話す。
そして、こうつづけた。
「子どものころ、ベトナム戦争があって。僕は、ベトナム戦争が終結したのち、冷戦も終わって平和になるかと思っていました。しかしアメリカは、ずっと戦争をやっています。21世紀に入っても戦争がつづいています。なので、この流れに日本も加担して、それを加速させていく訳にはいきませんよ」
だから、安保法案は止めなくてはならない──。そうキッパリと語った。
“日本の自衛隊が海外に出て
殺したり殺されたりする訳にはいかない”
12万人の中の一人──。青森で教師をしていたという男性(30代)は、
「憲法守っていくのが法治国家です。なのに、こんなふざけたことやっていたら、国がもちません。こういうことは1回でも見過ごしたら、おしまいだと思っているので、今回、デモに参加しました」と話す。
そして、さらに安保法案の内実について語り出した。
「日本では報道されませんが……。僕はずっとアメリカのオピニオン誌などを読んできたので、今起こっていることはどういうことなのか、理解しているつもりです。つまりアメリカはイラク戦争の流れで戦費が払えなくなったから、オバマ大統領が日本に、『集団行動(collectoive action)』(安全保障面での負担)──を求めている、ということなんですよ。それで集団的自衛権という話になる。それならそうで、日本政府は、はっきりと対米従属でいきたいんだと言えばいいんだと思っていますが、それを言わない」
ま、対米従属になったら、テロのリスクも、戦争の危険も、上がります。飛行機に乗っているとき、街で過ごしているときに、テロに遭う可能性があるということです、と語る。それでも、自分から、そういう内実を、周りの人たちに伝えたりはしないという。
「そういう話は、聞かれたらしますけど、自分からというのはむずかしいですよ。みんな全然知らないし、報道もされていないから。軽く、憲法違反だから、左派の人も保守の人も、ほぼ反対しているよ、と、それくらいだったら言いやすいけど。深い話はしづらいですね」という。
とはいえ、SNSなどでは、そういった内容も投稿しているらしい。書けば、賛同してくれる友だちは多いのだという。
「あと、僕は田舎で教師していたんで、そういう話を若者にすると、真摯に聞いてくれましたね。真剣に考えていきたい問題だと思ってくれたことが、生徒から伝わってきました」
だからこそ、今後も自分でやれることは行動していきたい──と、語る。
“アメリカは、戦費が払えないから、
日本に『集団行動』を求めている”
12万人の中の一人──。デモも終わり、12万人もの人々は、それぞれ帰路についていく。私も同様、桜田門駅から有楽町線に乗り、家路へと向かった。
やはり、戦争は、巻き込まれても、巻き込んでも、いけない。日本を、「戦争ができる国」に転換してはいけない。そうならないためにも、守るべき憲法は、守らなくてはならないのである。日本には、武力行使を永久に放棄した憲法9条があるのだから、その精神こそが世界へ伝えていくべきものなのではないだろうか?
有楽町線の中で、国会前デモのことを振り返りつつ、そんな思いを反芻していた。なのに現実は、なし崩し的に、違憲といえる「安保法案」が可決されようとしていた。一度、集団的自衛権の行使を容認してしまえば、日本の自衛隊は海外で、殺したり殺されたりする戦争に、巻き込まれることに、そして加担することになるのだ。この流れを、どうしたら止めることができるのだろうか? 答えは頭の中からは見つかりそうもなかった。
ふとあのときの熱気を思い出した。そう、20世紀末、インドネシアが、スハルト独裁から民主化へと進んだ、あの時代の熱気のことだ。
インドネシアで、32年間も強大な権力を持ちつづけたスハルト大統領。当時は、人口約2億人のインドネシア人が束になっても、永遠に倒すことができないだろうと思えたスハルト独裁政権だった。しかし、1997年のアジア通貨危機に端を発しインドネシアの通貨ルピアの暴落がはじまると、インドネシアは経済危機、物価上昇、薬や食料品、燃料の不足、企業の倒産、失業増加、暴動発生……と、かつてないほどの不穏な空気に包まれていった。
そのような中、『新しい大統領で、嵐はすぎる』と、スハルト大統領退陣を求める学生デモが起こり、人々を驚かせたのだった。大統領、政府を直接的に批判するなんて、言論統制のきびしいインドネシアでは考えられない出来事。そんなことをしたら、『国家転覆罪』に問われ、逮捕されてしまう。にもかかわらず、学生たちの勢いは止まることを知らず、あっという間にデモは全国津々浦々までひろがっていった。まさにデモに対する固定観念を持たない、恐れを知らぬ若者のパワーだった。
それでも大人たちは、どんなに学生が騒いでも、現実は現実。そう簡単にはスハルト大統領の退陣はありえないと、どこかあきらめの雰囲気を漂わせていた。何十年もの間、闘いつづけてきたが、その都度、負けつづけてきたからだった。
ところが急転直下、運命の日は突然やってきた。抗議デモ、略奪・焼き討ち、暴動、群衆と治安部隊との衝突……と、事態が混迷していき、大統領の即時辞任を求める『100万人デモ』までもが計画される中、1998年5月21日、スハルト大統領も時代の流れには逆らえ切れず、ついに自ら辞任を表明したのだった。
そう、あのとき、インドネシアと東京を行ったり来たりしていた私は、たしかに肌で感じたのだった。独裁から民主化へ、時代が動くときの空気を。その緊張感を。
では、どうだろう。今日の国会前デモで、あのときインドネシアで感じた熱気は、強権政治を止めるときの緊張感は、感じられただろうか? 残念ながら、今日のデモでは、その空気感にまだ一歩届いていないのでは? そう感じたのである。その一歩とは、何なのだろうか?
とはいえ、今日の動きは、大きなインパクトにはなったはず。これからどうなるのか、どうするのか──。そこが問題なのだろう。この大規模デモの動きが全国津々浦々まで波及する可能性はあるのか? 単なる国会前デモで終わるのか。さまざまな人々の共感を呼び、全国的な大きなうねりにならなければ、「安保法案」は、来月9月に確実に参議院でも可決されるだろう。有楽町線に揺られながら、そんな確信めいた思いになった。
では、はたして、同じ地下鉄の車両に乗っている人たちの中で、私と同じように「安保法案」の行く末と、日本の未来を案じている人は、どのくらいいるのだろうか? きっと今日、国会前で大規模なデモがあったことさえ知らない人がほとんどなのではないだろうか。そう感じた。
しかし、その無関心な人々こそが、キーなのだろう。彼ら彼女らが、こぞって関心を持ち出す瞬間がくれば、事は一気に動き出す……。はず。
それにしても、雨の中に立ちつづけていたためか、頭がしんしんと冷えきっている。そんなことに、あらためて気づいた。本当に長い1日だった。