
「道路をあけろ」「道路をあけろ」の声。車道には次々と装甲車がやってくる。
「戦争法案、今すぐ廃案」「戦争法案、今すぐ廃案」「今すぐ廃案」「安倍政権の暴走止めよう」「みんなの力で暴走止めよう」「戦争反対」「9条壊すな」「安倍政権はただちに退陣」「ただちに退陣」「退陣」「退陣」……。
2015年、9月14日(月)──。19時すぎ、外は、心地よい秋風が吹いていた。そして国会前からは、「安保法案」に反対する「総がかり行動実行委員会」のコールが聞こえてくる。歩道は、人・人・人で埋め尽くされ、みな配られたペンライトを揺らしていた。次第に「道路をあけろ」の声が大きくなり、警察官の数も増えてくる。「あけろ」「あけろ」「あけろ」……。
そうして19時25分、決壊。人々は、一気に車道になだれこんだ。「強行採決絶対やめろ」「押すなよ」の声・声・声。すると目の前の人が突然ころんだ。人波に押されたのか? 「危ない危ない危ない。大丈夫?大丈夫?」と私は叫んでいる。まわりでは「退陣」「退陣」の声。
私は、装甲車の間を通り抜け中央へ進み、さらに国会前へ前へと、進んだ。もうすでに人で埋め尽くされていた。「戦争法案、今すぐ廃案」「今すぐ廃案」。突然、警察と市民が口ケンカ。怒号が飛ぶ。「安倍はやめろ」。みんな国会に向って「安倍はやめろ」と叫んでいる。
そうして、最前線まで進むと、そこはすでに「SEALDs(シールズ)」が陣取っていて、そのまわりにカメラマンが押し寄せる。私は、近づこうとしたが、近づけず。聞こえてくるのは、「安倍はやめろ」「あ・べ・は・や・め・ろ」。あちらこちらから響きわたる、途切れることなくつづく「安倍はやめろ」のコール。のぼりの数も半端じゃない。汗、汗、汗。汗の匂い。満員電車のラッシュのようだ。もう完全に身動きがとれなくなった。鉄柵に寄りかかり、なんとか私も姿勢を保つ。鉄柵の向こう側で、警察官が支えてくれているのを感じる。警察官は2列。その向こうに、装甲車。その前に脚立に乗ったマスコミ。
そして、首相の退陣を求めるコールの声が、共鳴しながら響きわたり、いつまでもつづいていた。その声の響きは、バリ島のケチャダンスのコーラスを聞いているかのよう。ふと、そんな気分になった。チャチャチャ、チャチャ、チャチャ……と、「チャ」のリズムを刻む、あのケチャダンスの男性合唱のことである。私は国会前デモにいながら、その「チャ」の音色、その波動に全身がどっぷり包まれてしまったかのような、そんな錯覚に陥ったのだ。
「安倍はやめろ」「あ・べ・は・や・め・ろ」
「チャチャチャ、チャチャ、チャチャ……」
思えば、ケチャダンスの、「チャチャチャ」というリズムの音は、もともとはバリ島の悪霊払いの儀礼で用いられていたチャント(一定のリズムと節をもった祈りの歌,呪文/かけ声)である。今では、古代叙事詩「ラーマーヤナ」を取り入れた舞踊劇「ケチャダンス」のコーラスとして、「チャチャチャ」は楽しまれているが……。つまり、そもそも「チャチャチャ」の音には、悪霊祓いに効く波動があるということになる。
「チャチャチャ、チャチャ、チャチャ……」
「安倍はやめろ」「あ・べ・は・や・め・ろ」
ならば、このコールは、国会にうずまく悪霊、日本人をふたたび戦争へ引き込もうとする悪霊を祓うための“チャント”ということにはならないだろうか? 「戦争に巻き込まれてはいけない」「戦争ができる国になってはいけない」と祈る、その声明(しょうみょう)とも? そんな妄想がわいてくる。
「安倍はやめろ」「あ・べ・は・や・め・ろ」。
ステージでは大江健三郎氏のスピーチも行われていたようだが、まったく耳に届かず。聞こえてくるのは、ぼわわぁーん、ぼわわぁーんと共鳴している「安倍はやめろ」のコールだけだった。
そんな不思議な音に包まれた濃密な空間、全く身動きがとれないほどの群衆の中で、私は、なんと15年ぶりに、かつて一緒に雑誌の仕事をしていたカメラマンと再会した。なんという奇遇だろう。やはりこの状況を記録しておこうと思って、と知人はいう。
そうなのだ。私も同様に、自分の目で確かめておこうとの思いから、毎回、毎回、時間が許す限り、国会前デモにやって来ていたのだった。とはいえ、あの何万人もの群衆の中で、どうして偶然にも再会することができたのだろうか。たしかに、今回の国会前デモの取材を通して、じつにさまざまなマスコミの人間と出会った。直接の知り合いから、メディアで活躍していて名前を知っている人まで。あの人も、この人も、海外メディアの人も、ここで取材していたため、偶然、隣り合わせることができた。
そして、再会したのは同業者ばかりではなかった。デモに参加している一般の人の中に、何十年ぶりの再会となった、中学時代の友人までいたのである。「こんなところで会うなんて……」。奇遇でしかなかった。
では、一体、何が人と人とを引き合わせるのだろうか──。
面白いことに、一般のデモ参加者にインタビューしていると、同じように、ここ国会前で、偶然、知り合いに会ったと語る人はそれなりにいたのである。
「デモは、あんまり、みんなを誘って行くようなね、そういうものでもないと思っているんで、人を誘ったりはしません。でも、意外とね、誘いはしないけど、突然、現場で会ったりはしますよ、知り合いに。日常のなかでは、そういう(デモの)会話はないんです。ないんですけど、ここに来て、あら来てたの?と。そうなのよ、がんばりましょうって」
偶然か、必然か、ここで出会う。お互いに、同じ思考、同じ波動を発しているということなのだろうか。
「安倍はやめろ」「歴史を知らない総理はいらない」「賛成議員を落選させよう」……。
22時を過ぎても、国会前では、コールがつづいていた。そして、スピーチの声もようやく私の耳に届くようになってきた。「この国のいちばんの宝は、お金でも、武力でもなく、平和なのだ」「その平和を支えていたのは、間違いなく『日本国憲法』の文言と理念」「民主主義を守るために、何度でも闘いつづけましょう」と訴えている。
そしてその日、「安保法案」に反対する国会前デモには、月曜日の夜だというのに、約4万5千人が集まったと発表された。
これで、本当に今週、政府は、「安保法案」を参議院で強行採決するのだろうか? いくらアメリカ側が日本の集団的自衛権の行使容認を求めているからといっても、今国会で何がなんでも「安保法案」を成立させる──という結論ありきでの国会審議では、国民の多くは納得できないだろう。そもそも恒久平和主義の理想を掲げる日本国憲法では、一切の戦争と武力行使を、国際紛争を解決する手段としては永久に禁止しているのだから。そう、つくづく実感する夜となった。