
2015年9月18日。地下鉄の桜田門駅を出て、地上にあがると、まだ午後6時半だというのに、外はもう暗かった。風もそよそよと涼しく、まさに秋の黄昏時。気持ち良さそうに皇居ランを楽しむランナーが、次から次へとやってくる。そんな市民ランナーを横目に、私は、そのまま国会議事堂の方へ進んだ。国会前の歩道には、すでにあふれるばかりの人がいた。車道には装甲車や、機動隊車両が並び、はるか前方にある国会議事堂はライトアップされていて、白い光が灯っていた。
そうして私は、前へ前へとスピーチの声が聞こえる方へと進んでいった。すると突然、前方のやや上のほうから、強い白い光がふたつ煌々と差し込んできた。急にまわりが明るくなったので、一瞬、何が起こったのかと思ったが。近づいていくと、それは警察が灯しているライトだったとわかる。機動隊車両の上からだろうか。国会前デモに参加している市民を煌々と照らし、監視しているようだった。ライトは首を左右にゆらして、私たちデモ参加者をなめるように光を当てていた。すると、
「何撮っているんだ」
とデモ参加者の中から怒号が響いた。その声で、はじめて私は、警察はデモに参加している市民を撮影していることに気づく。私も撮られているのだ。まるで群衆の中から犯罪者を探し出そうとしているかのような行為ではないかと、嫌な気分になる。
実際、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものだという。となると、正々堂々と、警察の撮影行為に抗議してしかるべきということになろう。
しばらくすると、雨が降り出した。それでも、人々は一向に帰る気配はなかった。コールが響きわたり、スピーチがつづく。デモ参加者は増えつづけ、ますます身動きがとれなくなっていった。集団的自衛権の行使を認める「安全保障関連法案」が、まさに今夜、参議院で可決されるかもしれないという夜なのだ。それゆえに、時とともに、ますます異様な緊張感と熱気が張り詰めていくようだった。
スピーチを聴きながら、涙を流す人もいれば、「少し休憩しよう」と群衆からはなれる高齢のデモ参加者もいた。倒れた人を運んでいる救護班の人もいる。そして、駆けつけた野党議員は、「皆さんの声は国会に届いています。皆さんの熱い思いと訴えが届いています」「国会の中と外とがつながったんです」と、口々に叫ぶ。そんななか、私も少しずつ一般の人々の声を聞いてまわった。
「国民のためとか、国民の皆様の命が大事だとか言っていますけど。やってることはまったく逆のこと。安倍さんは、自分の信念、おじいさんの代からの、やりたかったことを受け継いで、それを自分が首相のときにやってしまおうと、自己満足のためにやっているようなもので。だから、反対なのです。こういう人に一国の首相をさせている国民の私たちは本当に愚かなことだと思ってしまいますね」
と語る60代の女性。ふだんは朝9時半から夕方6時まで仕事に出ていて、家に帰れば、家事があり、夫や子どもたちの夕飯の支度もあるので、なかなかデモに参加することはできなかったという。しかし、「今日しかもう来るチャンスはない」と意を決して、はじめてデモに参加したのだと教えてくれた。
小さな子どもを連れてデモに参加している男性(48歳)もいた。子どもはまだ2歳。小さな子どもを家に置いてくるわけにいかず、今夜の国会前デモに連れて来たのだという。そして、
「安保法制が通ったら、ま、徴兵制といっても、いわゆる、経済的徴兵制で、アメリカみたいになっていくと思うんですよね。なので、僕は、兵隊にいかないと生活できないとか、学校に行けないとか、そのような生活を、子どもたちにさせないようにがんばりたいと思っているんです。でも、何らかの理由で、自分の子どもたちが自衛隊なり、軍人なりに、なっているかもしれない。その時に、自分の子どもが、殺す側になるのは嫌だなと思いまして。戦争でね、国家の命令で、見ず知らずの人を殺さなきゃいけないということはさせたくない。で、今日、このデモに参加しました」
と話してくれた。晩婚だったため、子どもはまだ小さいけれど、子どもが生まれたことで、子どもたちの世代のこと、日本の未来のことも、間違った方向に行かないようにと、考えるようになったのだいう。
こうして、デモ参加者に話を聞いていると、ふと目があう外国人ジャーナリストがいた。私の顔をみて微笑んでいるのだ。ああ、昨日もここで取材していた人だと、私も気づき、軽く目で会釈した。そして、少し話してみると、彼は、日本在住30年以上にもなるオランダ人ジャーナリストだったことがわかった。そして彼は、「安保法案」成立に向けての日本の動きについて、オランダ人ならではの思いを語り出した。しかしそれは、私にとってかなり意表をつく話だったのである。
「私が心配していますのは……。オランダは昔、インドネシアを植民地としていましたが、70年前、日本軍がインドネシアに来たことで、戦争になりました。で、オランダには、その戦争の記憶が、強く残っているのです」
こう彼は切り出し、突然、70年前のインドネシアに話が飛んだのである。日本とオランダが彼の地で戦争したときの話に。もちろん私は、そのことを十分すぎるほど知っていた。というのも、私自身、インドネシアは第二の故郷と思うくらい、親しみのある国で、ジャワ島にある地方都市で暮らしたこともあったからだ。当然、オランダが約300年間、インドネシア(赤道をはさんで東西約5000キロメートルにわたり広がる、東南アジアの島嶼地域。第二次世界大戦後、インドネシアとして独立する)を植民地としていたことも、その後、第二次世界大戦がはじまると、日本軍がインドネシア(オランダ領東インド)に侵攻して、オランダに代わってインドネシアを統治したことも、そのときそこに残っていたオランダ人に対して、日本軍がどのような処遇をしたのかも、理解していた。
「オランダの若い人たちは今の日本しか知りません。しかし、年配の人の中には、日本といったら“戦争”と思い出す人が多いのです。日本人に対するステレオタイプは、昔の、70年前の戦争のときの悪いイメージのまま。だから、今の日本の「安保法案成立」への動きをみたら、日本がまた戦争の方向に向かっているので、年配のオランダ人たちは、あの“戦争”のときのことを思い出してしまう……と、僕はすごく心配しているんです」
と語るのだった。
あの“戦争”のときの記憶──?
正直、彼がいわんとするところの意味を、私はすぐには理解することができなかった。彼は、何を心配しているというのだろうか?
そう、第二次世界大戦中、日本軍がインドネシアを統治したとき、インドネシア(オランダ領東インド)に暮らしていたオランダ系住民は、捕虜(兵士)4万人と民間人9万人が、日本軍の強制収容所に抑留されたのだった。劣悪な環境の中で、日本軍から、過酷な労働を強いられ、また体罰も受け、健康を損なうなど、多くの犠牲者を出したと言われていた。私は、この歴史上の出来事を、1990年代後半にインドネシアに留学していたとき、はじめて知ったのである。
だが、今から考えれば、そのときはただ歴史を学んだだけで、その影響が戦後何十年経ってなおつづいているとは想像さえしていなかった。
思えば、オランダのことは、インドネシアの旧宗主国として、かの地でどのような植民地政策をとってきたかを中心に見つめてきた。またインドネシアの植民地統治をめぐって日本軍とも戦争したことがある国として理解していたものの、私自身、実際にオランダ人と話したことはなかったのである。それゆえに、オランダはインドネシアを通したその向こう側にある存在でしかなく、オランダ人そのものの思いや、苦しみまで意識が向かなかったのかもしれない。
しかし、なんという因果だろうか。今回、国会前デモで、オランダ人ジャーナリストと話すこととなり、70年前インドネシアに暮らしていたオランダ人の思いを、はじめて知ることになったのである。
つまり……。オランダには、先のインドネシアでの戦争以来、根強い反日感情が渦巻いているということだった。強制収容所に抑留されたときの、日本軍による過酷な扱いに対する恨みつらみは、相当、根深かったらしい。私と遭遇したオランダ人ジャーナリストが、日本に移住する直前の1980年代においても、その状況は変わらなかったようだ。
その後、21世紀に入り、和解に向け、オランダと日本との民間レベルでの対話がはじまり、ようやくオランダ人の反日感情も薄まりつつあったようだが……。安倍政権の今回の行動により、また再び、オランダ人のなかの、日本人に対する憎しみの感情が呼び覚まされてしまう──。そう、彼は心配していたのである。
「でも、もちろん“安倍さん=ジャパン”ではないし、日本人も一人ひとり違う。法案に賛成している人もいるし、反対している人もいる。いま日本人の6割近くが法案に反対しています。そして日本には「憲法9条」があります。私はジャーナリストとして、そのことも、しっかりオランダ人に説明しないとダメだと思うのです」
だから現在、オランダ人向けのラジオや新聞で、日本の真の姿を一生懸命説明しているのだと、彼は語るのだった。
いま再び、反日感情を呼び覚まさないために、ジャーナリストは、何を報道し、何を伝えるべきか。そんな思いで国会前デモの取材をしている、外国人ジャーナリストがいるとは、しかもアジア圏ではない国からのジャーナリストがいるとは、正直、私は、想像だにしていなかった。しかし、今日ここでオランダ人の彼に出会い、話を聞けたことも偶然ではないのだろう。おかげで、“戦争”に結びつく動きを起こすと、思いも寄らぬ人々の感情まで刺激することがあることを、まざまざと思い知らされたのだった。しかも、思いも寄らぬと思っているのは、こちら側だけで、相手側は、積年の思いをつのらせているのである。
こうして、本当の意味での、世界の融和、平和を願うのならば、やはり互いの国の歴史や文化、世界中の戦争の記憶と真実を知らなければいけない。そう、改めて考えさせられる夜となった。
「今すぐ廃案、廃案、廃案。
安倍政権は、今すぐ退陣。
9条壊すな。
戦争法案、絶対廃案」
そして、日をまたいだ2015年9月19日未明、午前2時18分、参議院本会議において、自民、公明両党などの賛成多数で、安保法案が可決、成立した。
これで「日本は、戦争ができる国」になったのである。