
閑談──とは、のんびりと静かに話をすること。気楽な雑談。暇つぶしにする、むだ話。という意味があるらしい。そうか、気楽な雑談なら……。いいかも。
5月の連休の合間のある日、突然、『三田評論』の編集部から、一通のメールが届いた。インドネシア国交60年を迎える本年、『バリ』をテーマに、三人閑談(座談会)を企画しているので、ぜひ私にも出席してほしいという内容だった。
『三田評論』とは、慶應義塾が発行する機関誌で、主に慶應義塾卒業生を読者対象にしている月刊誌だった。以前、2003年にも、同誌の「塾員クロスワード」というページで、著書『小さきものの祈り──インドネシアの聖剣<クリス>をめぐる旅──』にまつわるエッセイを寄稿したことがあったので、そのご縁で今回お声がけしてくれたのかもしれない。
で、今回は、「三人閑談」だというのである。この「三人閑談」とは、「あるテーマに関して3人の方にお集まりいただき、それぞれ違う角度から一般の方に向けてご自由に話していただくコーナー」とのことだった。つまり、『バリ』をテーマに、自由に気楽に雑談するということらしい。私にとっても、前年2017年は、はじめてバリ島を旅してから30年という節目の年だった。バリの、変わったもの、変わらないもの、いろいろ感じていたときだったので、素直に面白そう!と、座談会への参加を快諾することにした。
しかし、他の出席者をみると、そのなかに倉沢愛子先生のお名前があるのに気づき、急に恐れ多いような気持ちになった。倉沢愛子先生といったら、インドネシア研究の第一人者で、現在は慶應義塾大学名誉教授である。私がインドネシアに頻繁に通うようになった1990年代には、すでにインドネシアに関する著書を何冊も発表しており、私も先生のご著書や先生が講師をつとめる一般公開セミナーを通して、インドネシアのことをいろいろ学んだものだった。その後も先生のご活躍は素晴らしく、最近では、映画『アクト・オブ・キリング』──インドネシアで共産党員と疑われた人びとが大虐殺された「9・30事件」(1965年9月30日事件)の真相に迫ったドキュメンタリー映画──の字幕監修もされていた。
つまり……。私にとって倉沢先生は、どこまでいっても「教えを乞う」「ご教授いただく」インドネシアの大先生だったのである。そして、もう一人の出席者の方も、はじめて知るお名前だったが、同じ学部卒業のかなり上の先輩のようだった。このような3人の間での閑談となると、正直、どうしたらいいものかと、かなり気後れしそうになった。
とはいえ、せっかくの機会。あの倉沢先生と気楽な雑談ができるなんて、このようなチャンスは2度と来ないだろう、という期待感がまさり、胸を借りるつもりで参加することにした。
そして5月の半ば、「三人閑談」は、大学の特別室にて行われた。
楽しみと緊張が混ざりながら、いざ閑談がはじまると、想像以上になごやかな雰囲気となり、私もすっかりリラックスしてしまった。約20年ぶりに直接お会いした倉沢先生は、変わらずお元気そうだった。先生がはじめてバリ島を訪ねたのは1972年で、いわゆるヒッピーといわれる人たちの間でバリが人気のころだったという。一泊一ドルで、クタの民宿に泊まったらしい。この話だけでも、バリの昔ながらのひなびた風景が目に浮かぶようで、私は心嬉しくなってしまった。そして倉沢先生は、ジャワの歴史を中心に研究されていたが、大学のゼミでの旅行先が、2004年からバリにかわったため、そこからバリにも関わるようになったという。
もう一人の参加者である、小野隆彦氏は、会社経営と早稲田大学の客員教授をつとめながら、写真家としても活躍されていた。なんと、バリ王族のひとつ、マンデラ家の冠婚葬祭や日常生活を切り取った写真集も出版されていたのである。マンデラ家とはかなり親しい関係とのことで、これまた面白い話をお聞きすることとなった。
そして私も、「神々と芸能の島」に誘われて、1986年の暮れから翌年のお正月にかけて観光旅行でバリ島を訪ねて以来、すっかりバリに魅せられてしまった一人だった。カントゥン、カントゥン、チャンチャン……と、ガムラン(インドネシアの民族音楽)の不思議な旋律が脳天に直撃してきた、あの衝撃はいつまでたっても忘れられなかった。そして90年代以降は、取材として繰り返しバリを訪ねるようになった。王族の人から一般の人まで、いろいろな人に、バリに伝わる華麗な伝統文化の話を聞いた。ゆったりと流れる時間、神や自然と調和する暮らし、いつでもどこでも神々は存在し、古から伝わる神秘的な話もいまだ生き生きと語られていた。
このように、三人が三様にバリと関わってきたため、話は自由気ままにどんどん発展していった。バリ・ヒンドゥーの魅力、精神性から、バリの芸術・伝統文化、公開火葬、そしてバリでも起こった共産主義者に対する虐殺事件、いわゆる「9・30事件」の真相について、また進化しつづけるバリの魅力にいたるまで、話は尽きることがなかった。お互い、話が通じる者同士で語り合うとは、こんなに楽しいのかと思えるほど、三人の会話は、次から次へとリンクしていった。一般の読者にも、この楽しさが伝わるといいなぁっと思いつつ、話はどんどん深みに入っていく。そして、誌面には反映できないかもしれないけど、個人的には、もっともっと深い部分の話をお聞きしたいという気持ち、好奇心がどんどん膨らんでいったのである。できれば第2部をひらいて、話のつづきを語り合いたい気分だった。それこそ、本当の意味での『閑談』──“のんびりとむだ話をする”時間になりそうだった。
残念ながら、若輩者の私から第2部を提案することはできなかったが。『三田評論』における「三人閑談」を十分すぎるほど楽しみ、その日は、解散となった。その内容は、こちらでご紹介しているので、よろしかったらぜひ。
ともあれ、「三人閑談」に参加したおかげで、まだまだ知られざるバリの魅力、歴史、光と闇があることを強く感じることができ、今後も変わらず、ゆっくりゆったりと、バリとおつきあいしていきたいという新たな気持ちになっていった。目に見える世界と、目に見えない世界。そのもっと奥深いバリへ。そう、気楽な雑談は、バリと出会って30年+1年目の、嬉しい発見の場にもなったのである。