
地球規模でまん延した「新型コロナウイルス感染症」が発生して3年。その影響は、多方面に及ぼされていったが、なかでも各国の水際対策が強化され、入国制限が実施されたことは、私たち人類にとって、じつに大きな閉塞感をもたらした。21世紀のいま、人や文化が国境を越えて自由に交流する“グローバル社会”を生きてきた私たちにとって、戦争が起こったわけでもないのに、“国境を閉じざる得ない”事態に遭遇するとは……。世界中の国境が次々と閉鎖されていき、人の移動による国際交流が突如とまるとは、誰が想像していただろうか。はたしてこの先、世界は、人類は、どうなるのだろうか? この閉塞感はいつまでつづくのだろうか? そんな先が見えない不安が、じわじわと地球上を覆ったのである。
実際、その間、さまざまなパンデミック(感染症の世界的大流行)対策が講じられたにもかかわらず、世界全体では、少なくとも約5億5620万1000人の感染が報告され、約677万6000人の死亡が確認される(2022年7月15日/ロイター)。数字で知ることで、さらに新型コロナウイルス感染症の恐ろしさを、実感するのであった。
しかし、それでも、世界は、とまったままではなかった。
2022年、世界の多くの国がウイルスと共に生きる「ウィズコロナ」へと舵を切り、新型コロナウイルスの水際対策も見直されはじめたのである。そして10月には、日本でも、入国時における規制がほぼ全て緩和され、有効なワクチンの接種証明書があれば、新型コロナウイルスの入国時検査の必要がなくなった。おなじく10月、カンボジアにおける入国時の水際防疫措置も全て撤廃された。
ということは、私も、コロナ禍前と同じように、制限なく、カンボジアへ渡航し帰ってくることができる──ということになったのだ。
そう気づいてからの、私の行動はじつに早かった。コロナ禍前、ほぼ毎年参加していた、12月に開催される『アンコールワット国際ハーフマラソン』を走るための準備を、すぐにはじめたのである。
本大会自体も、過去2年間はコロナ禍のため、海外からの参加は制限されていたが、幸い、2022年12月は、3年ぶりに制限なしの大会が開催されることとなっていた。大会エントリーも10月末が締め切りなので、いまならまだ間に合う。すぐにネットでエントリーをすませ、航空チケットの手配もした。そしてコロナ禍とあり、丸々3年間、私自身まったく走っていなかったが、まずは5キロから近所の光が丘公園を走りだした。ゆっくりペースだったが、マスクなしで、緑豊かな公園を走るのは気持ちがよかった。しかも、どこも痛みや違和感を覚えることなく走ることができたのだ。これは、いけるかも。
こうして、3年ぶりに走る練習を再開。週2回のペースで光が丘公園をジョギングし、徐々に距離をのばしていった。走るごとに、秋は深まり、朝の寒さがましていった。樹齢130年を誇るイチョウ並木も黄色に色づいたかと思ったら、葉が落ちはじめ、今度はケヤキ、エンジュなどが美しく紅色にそまっていく。なんて美しいのだろう。走る楽しさも、充実していった。
そして11月末、世界では「2022FIFAワールドカップ カタール」が開催されているさなか、私は3年ぶりの海外渡航、カンボジアはシェムリアップへと向かった。コロナ禍の3年間は、自分のまわりのほんの小さな世界だけに閉じこもって日々暮らしていたが、ようやく海を越えて、地球の上を自由に往来できるようになったのである。日本を飛び立つときの感動はひとしおで、今までにないほどの特別な緊張感と開放感に包まれた。3年ぶりの海外というより、まったく新たな世界、未知なる時代へ飛び立つような高揚感さえあった。
2022年12月4日──。
まだ日が昇る前の、早朝5時半、アンコール・ワット前広場には、69の国と地域から、7534人の市民ランナーが集結していた。そのうち、5814人がカンボジア人、1720人が海外からの参加者だという。コロナ禍からの回復途上とあって、外国人観光客がまだ少ないこの時期に、2000人ちかい海外からのランナーが参加したことに、この大会の人気の高さがうかがえた。
おそらくみな、世界がパンデミックを抜けて動き出すのを、じっと待っていたのだろう。3年ぶりに通常通り『アンコールワット国際ハーフマラソン』が開催される感動、リアルな歓びを、感じているようだった。
そして、「10、9、8、7……」とカウントダウンがはじまり、21キロレースがスタートした。『アンコールワット国際ハーフマラソン』は、「対人地雷の使用禁止」をテーマに、参加費の一部が地雷犠牲者の自立や義手義足の製造支援などに寄付されるチャリティーマラソンである。障害をもつ車椅子ランナーと健常者とが、共に走るのも大きな特徴だった。それは、1996年の第1回大会以来、パンデミックを超えた今回も、変わりない。「誰かのために、優しさを分かち合おう」とするチャリティの心を灯し続けているのである。
私も、このチャリティランの魅力に誘われて、走り出して、早10年。今回は、3年ぶりのハーフマラソンへの挑戦だったが……。アンコール遺跡群のなかを走り抜ける21キロの旅ランは、アンコールの森のミステリアスな空気や湿気、風の匂いを感じながら、地元の子どもたちの声援に励まされ、また車椅子ランナーたちとも、何度も声をかけ合いハイタッチをして走りつづけた。こうして今年も、いくつもの優しいコミュニケーションを交わして、一度も歩くことなく、無事、アンコールワット前広場のゴール地点に戻ってくることができた。
皆がみんなを応援している21キロ。やはりこのレースは何回走っても、いい。「走る歓び」と「優しさ」にあふれている。
レース後、本大会の運営協力をしている有森裕子さんにお会いできたので、少しお話をした。「レースはどうでした? 今日は暑いから心配していたけど……」と聞かれたので、
「湿気で体が重かったけど、後半は楽になりました。コロナ禍もあり、3年間まったく走っていなかったけど、10月半ばから練習を再開して、今回ハーフ完走できたのでよかったです」と伝えると、「それはすごい!」と有森さんが反応した。
えっ? 私、バロセロ五輪・女子マラソンで銅メダルを獲得した、メダリストに褒められた? いえいえ、ゆっくりゆっくり、歩くようなペースで走っただけですからと思いつつ……。3年ぶりにカンボジアでのチャリティランを完走できた歓びが、ふわっと軽やかな風にのって、さらに舞い上がったような気持ちになった。パンデミックを超えて、ふたたびアンコールの大地に還ってきて、誰かのために走ろうとがんばった、その先に、ちょっぴり意表をつかれた楽しさも待っていたのである。
人と人とが、リアルに交流するからこそ生まれる、コミュニケーションのあれこれは、やはり面白い。これまた、想像もしていなかった出来事に遭遇する。