
“戦争の世紀”と呼ばれた20世紀が終わり、早20数年。21世紀は、“こころの世紀”になると、勝手に思い抱いていたが、今となっては、自分の読みの甘さに愕然とする。21世紀に突入しても、地球上での戦争は終わることを知らず、新たな分断、対立、紛争を、生みつづけていたのだ。
ことに2023年は、ロシアのウクライナ侵攻に加え、イスラエル・ガザ紛争もふたたび勃発し、戦闘、空爆、大規模攻撃の映像が、日常の風景となって、日々、テレビから流れてくるようになった。
どうか紛争・戦争が1日も早く収束しますように。世界が平和になりますように──。そう祈らない日はないほどだった。
そんななか、12月、カンボジアを旅した。
絢爛豪華なクメール文化を花開かせ、いまや世界遺産アンコール・ワットが世界的人気を博すカンボジアだが。20世紀、1960年後半にベトナム戦争に巻き込まれて以来、まさに30年以上にわたり戦争や人権侵害、大虐殺、地雷被害、国際的孤立にさらされ、苦しんできた国だった。20世紀の終わり、1999年にようやく内戦が終結し、平穏な日々を取り戻したばかりで、戦争の記憶は、いまだ人々の暮らしに影を落としていた。
プノンペンにある、カンボジア史料センター(DC-Cam)の所長、ヨク・チャン氏は、
「ベトナム戦争で、約700万人のカンボジア人が生き残りました。そして、大量虐殺を行ったクメール・ルージュ政権下(1975〜1979)では約200万人のカンボジア人が死亡したと考えられています。 つまり、約500万人のカンボジア人が、ベトナム戦争とカンボジア虐殺の両方から生き残ったのです」と話す。
そして、カンボジアの人びとは、そこから立ち上がり、戦争のトラウマからの癒しと和解に取り組んでいたのである。
その生存者の一人である、チャム・メイさん。
私も、何度もお会いし、直接お話をお聞きした方だが。彼は、およそ1万2000人以上が政治犯として連行され、ほぼ全員が処刑されたといわれる、プノンペンにある政治犯収容所「S21」で、生きのびたごくわずかな収容者のうちの一人だった。2009年頃より、現在は歴史ミュージアムとなっている「S21」に、ほぼ毎日来て、来訪客を相手に、語り部ボランティアとして、「S21」で何が起こっていたのか、自分の人生の物語を語っていた。
「あの時代は、カンボジア人がカンボジア人を殺したのです。子どもでも人を殺しました。しかも、収容所に連れてこられた人たちは、その理由がわからないまま、殺されてしまったのです。悲しすぎるじゃないですか。人間は死にたくないんです。生きたいんですね。だから、私は今、一生懸命努力して、世界に発信しているのです。二度と同じことが繰り返されないように、お互いに殺し合いをしないために、ここで何が起こっていたかを伝えつづけているのです」と。
今回、4年ぶりに、「S21」を訪ねると、チャム・メイさんは、変わらずお元気そうで、今なお語り部としてご活躍されていた。「何歳になりましたか?」とお聞きすると、「92歳」だという。
なんてことだろう。92歳というご高齢でありながら、このカンボジアの暑さのなか、クーラーもないミュージアムの中庭で、「戦争、殺し合いは、してはいけないよ」と語りつづけていたのである。その姿に、私はつくづく頭が下がる思いになった。どうかこれからもお元気で。くれぐれもお身体に気をつけて。そう願わずにはいられなかった。
そして同時に、現在進行形の世界の戦争を目の当たりにして、無力感に打ちのめされていた自分の弱さに、腹が立ってきた。92歳のチャム・メイさんが、何事にも動じず、平和を語りつづけているというのに。私は、無意識のうちに、世界平和をあきらめていたのかもしれない、と。
語りつづけることは、祈りのようなもの。世界平和。なろうとなるまいと、「戦争は、絶対はじめてはいけないよ」、と語りつづけていくことが、やはり大切なのだ。有史以来、人間は、ずっと戦争をつづけてきた。戦争のないときは、ほんの数年だったといわれている。それでも、「戦争は、絶対はじめてはいけない」、と語りつづけることこそが肝要なのだろう。それが、やがて祈りの言霊となり、積み重なることで、いつしか何かが動くかもしれない。時代がパッと変わるかもしれない。2023年もあと数時間で、パッと2024年に変わるように。
やはり、私も、世界平和をあきらめたくない。だから、2024年も語りつづけよう。
「戦争は、絶対はじめてはいけない」、と。