
「古い街並を取り壊して、居心地のいい観光地にしよう」
という、インド政府の方針により、母なる大河ガンジス河が流れる古都バラナシの古い街並が消えてしまうらしい──。どうやらインド政府は、ガンジス河のほとりに広がる古い建造物を取り壊して、区画整理し、バラナシを小綺麗な国際観光都市にしようとしているらしいのだ。この話を聞いた私は、居ても立っても居られなくなり、急遽、インドへ旅立つことになった。
インド北部にあるバラナシは、約3000年もの歴史を誇る、悠久のインドの雰囲気が漂う古都。ヒンドゥー教最大の聖地であり、長年、東南アジアのヒンドゥー文化を取材してきた私にとっては、一度は訪れたい憧れの地だった。生と死が交わる混沌とした街で、もっともインドらしい、魂が揺さぶられる場所とも言われていた。さらに郊外には、仏教の四大聖地のひとつサルナートもある。ならば、やはり古い街並みが壊される前に、是が非でもインドへ行ってこようと、思いは一気につのっていったのである。
とはいえ、私にとっては初インド。いくら東南アジアの旅に慣れているとはいえ、インドはさすがに勝手が違うようだった。旅立つ1週間前に、親しいインド人の友だちに旅のアドバイスを求めると、「だまされないように強気で交渉したほうがいい」と一言。つまり、近寄ってくる人は、旅人をだましてお金をとろうと、あれやこれやと仕掛けてくるというのである。その助言に、私は、一気に緊張感が高まる。
いざ、インドはバラナシに上陸すると、一人旅の私のところには、思っていた以上に、詐欺やぼったくりにちかい地元の自称ガイドやリキシャの運転手が、次から次へと近寄ってきた。それも細やかなだましのシステムが、組織ぐるみで出来上がっているようで。リキシャの運転手からガイドにつながったり、ホテルにつながったりと。ふだん東南アジアを旅するときは、半分だまされているとわかりながらも、地元の人々に溶け込んで、そこでしか味わえない体験を楽しんできたが、インドばかりはそうもいかないようだった。「半分だまされているとわかりながら……」なんて悠長なことは言っていられず、人を見る目をしっかりもって、本気で交渉しないと、簡単に足元がすくわれそうだったのだ。しかも、彼らはしつこかった。断っても断っても、つきまとってくる。その交渉でヘロヘロになってしまい、気持ちが休まることがなかった。
また、バラナシ郊外にある仏教遺跡サルナートを訪ねたときのリキシャの運転手は、その往復の数時間、最初こそはニコニコ顔だったが、途中、私をだませないと悟ったとたん、怒りモードに豹変。それでも微笑むだけの私に、彼もついには諦めたようだった。行きも帰りも、通りはすごい渋滞で、クラクションの嵐。車とリキシャと牛が混沌とうごめいている。その中を、私を乗せたリキシャは、よくぶつからないで走っていると感心するほどの運転テクニックとスピードで、大通りやら細い路地やらを駆け抜ける。乗っている私もハラハラドキドキ。そして、いつしかリキシャの運転手の怒りと鼻歌が渾然一体となり平穏が訪れた。そうなのだ。彼は、決して根っからのワルではない。
北インドの、冬や夜は寒い。生きるためには、食べ物と暖をとらなくてはならない。旅人をだましてでもたくましく働き、お金を稼がなくては生きていけないのだ。それゆえの、だまし・だまされ。そのすべてが生きるための彼らのエネルギーのすごさなのだと感じられ、圧倒される思いになった。しかし、慣れるまでは、やはりこちらも体力、気力を消耗する。
そんなときは、安全と安心を求めて少し高めのレストランで食事をとりたくなるのだが……。そのレストランで、私は、事もあろうに食中毒にあい、見事にお腹を壊してしまったのである。マサラカレーとチャイの晩餐だったのに、何がいけなかったのか。その晩から朝方、翌日にかけて、動くこともできないほど、お腹が痛くなり、ゲストハウスで寝ているしかなかった。
そしてその後、日本に帰るまでの2日間は、水とバナナしか食べられない日々となった。海外旅行をしていて、はじめて「早く日本に帰りたい」と思ったほどだった。
こうして私は、インド旅行の通過儀礼をひとつ、ひとつ、経験することになった。おかげで、予定していたほど、バラナシを観ることも美味しいインド料理を食べることもできなかったが……。これこそが、もっともインドらしい旅スタイルなのかもしれない。
そうして、「あらゆる罪や穢れを浄化してくれる」ガンジス河で沐浴する人々に出会い、その先にある火葬場では、運ばれてくる遺体の一連の儀式を遠くから静かに見守る。火葬された遺骨は、聖なるガンジス河に流され、すべてが浄められ解脱し、神の世界へ行くのだという。そして夕刻、ガンジス河の岸辺で祈りをささげる『プージャの儀礼』を、ガート(沐浴場/河まで続く階段)の階段に座り見学すると、隣に居合わせたインド人が何もかも親切で、儀礼の流れを教えてくれたり、チャイまでご馳走してくれて、ホッとする。
また、小さな商店と住宅が密集する旧市街では、細い路地を行き交う人と牛とすれ違う。チャイを売る店、本屋、シルクの織物屋……。そこで生きる人たちと、時々目があい、恥ずかしそうに微笑み合う。そして、シヴァ信仰の中心地ゴールデンテンプルでは、若いインド人夫婦と遭遇。不思議にも話がはずみ、彼らが街を案内してくれることになった。グルグル、右へ左へ、迷路のような古い街並を歩きまわる。一体、どこを歩いているのか、私には見当もつかぬまま、ヒンドゥーの神さまが祀られている、いくつかの古い寺院をお参りした。またそのご夫婦が、なんとも優しい人たちで。いま、帰国して思い出すのは、そういうインド人の優しい心ばかり。
正邪混濁、人・人・人のインドはバラナシにあって、古い街並みにのこる、そんな人々のぬくもりまで壊してしまったら、あまりにも寂しすぎる。そんな思いがふつふつと湧いてくる。
「古い街並を取り壊して、居心地のいい観光地にしよう」「バラナシを小綺麗な国際観光都市にしたい」と、インド政府は考えているようだが……。
私にとって初インド、初バラナシは、決して居心地のいい観光地ではなかったが、愛すべきインドの人々と出会え、生きるパワーと、人の優しさ、ぬくもりを、強烈な印象をもって感じることができた、忘れがたい場所となった。そう、ヒンドゥー教最大の聖地、古い街並みがのこるバラナシは、私にとって宝物のような街だったのである。











