赤道直下の美しい島々、インドネシアで朝ランをする。 今年は、インドネシアへ旅するようになってちょうど30年になるが。まさかその常夏の国で、自分がジョギングをするようになるとは想像さえしていなかった。そもそも、走ること自体が嫌いな私だったのだから……。わざわざ暑い赤道直下の国まで行って走るだなんて、発想すらなかったのだ。 ところが、人間とは変わるものである。2013年に『アンコールワット国際ハーフマラソン』に参加して以来、走ることが私の日常となると、「今回せっかくインドネシアに行くのだから、ついでに街を走ってこよう」という気持ちになるから困ったものだ。いつもの取材旅行であるにもかかわらず、ランニングシューズをスーツケースの片隅につめ込んで、日本から5000kmもはなれた南の島へ、いそいそと旅立ったのである。 今回訪ねたのは、北緯5度、スマトラ島の最北西端に位置するバンダ・アチェ。東西5000kmもあるインドネシアの、いちばん西端にある州の州都である。はじめて行く街だったけれど、ついてみると、ここは海に近いゆえか、風がそよそよ吹いてきて案外涼しい。東京の夏よりも過ごしやすそうだった。 さっそく夕方、街の中心部にあるブランパダン広場へ出かけてみた。ここは、「世界の国々にありがとう公園」とも呼ばれていて、2004年のスマトラ沖地震から復興を遂げたアチェが、その支援国54カ国に向けて、それぞれの言葉で「ありがとう」の思いを伝える記念碑が並んでいる、まさに街のシンボル的な場所だった。また2012年には、津波からの復興を記念して行われた『アチェ国際ハーフマラソン大会』の、スタート&ゴール地点となった公園でもあった。 それゆえに、あまり期待していなかったものの、きっとここなら、ジョギングをしているアチェの人たちに出会えるのでは、と思ったのである。 すると驚いたことに、広場にはジョギングに励む人々が想像以上に多くいるではないですか。広々としたグラウンドの周りにある遊歩道を、次々とジョギングをする人が駆け抜けていく。男性ばかりか、ジルバッブ(女性のムスリムが頭にかぶるスカーフ)をまとった女性までもが、じつに多く走っていたのだ。ここまで、ランニングがアチェで人気だったとは。 インドネシアを旅して30年。考えてみたら、街中でスポーツをするインドネシア人女性の姿を見るのは、今回が初めてのことかもしれない。しかもアチェは、国民の約9割がムスリムのインドネシアのなかでも、最も敬虔なイスラム教徒が暮らす地域。家の外では、ほぼ全員の女性が頭にジルバッブをつけ、肌を露出しないよう、手足をすっぽり隠すイスラムファッションをまとっている。そのことは重々承知していた。 しかし、実際にジルバッブをつけたまま走っている女性たちを見かけると、私は、なんとも予期せぬ光景に遭遇したような気持ちになった。街中でジョギングする女性は、ほとんどいないか、またはごくごくまれなことかと思っていたからだ。そして、ついつい疑問が起こってくる。 ジルバッブをつけて走っていて暑くないのだろうか──? そのうえ彼女らは、肌を露出しない長袖のウエアまで着て走っているのだ。暑くないはずがない。そこで、思い切って本人たちに聞いてみると、 「ええ、暑くないわ。子どものころからジルバッブをつけているから、もう慣れているのよ」とあっさりと。汗ひとつかいていない美しい笑顔で、爽やかに答えてくれた。 日曜の朝、私も早起きをし、泊まっているホテルからブランパダン広場までジョギングしてみた。天気は晴れ。気温は23度とiPhoneが教えてくれた。そして、Runtasticを起動させて、颯爽と走り出した。なんだか気持ちいい。広場まで、約2.5キロ。日曜の朝とあって、通りには車もバイクも人も少ない。私は、いつものゆったりペースで、緑の木々が立ち並ぶ歩道を走り抜けていった。 広場につくと、大勢の地元の人たちが集まっていて、音楽にあわせて体操をしていた。参加しているのは、女性ばかり。小さな子ども以外は、みんなジルバッブをつけ、長袖のウエアをまとって、気持ち良さそうに踊っていた。いつもの日曜の朝の風景のようだった。私も、ぐるっと公園を周り、アチェの人たちとおしゃべりをしたり、写真を撮ったり。そしてそのままジョギングをしてホテルへと戻った。その頃には太陽も少し高くなり、私はすっかり汗をかいていた。 赤道直下のアチェで、約5.5キロの朝ラン。初めてインドネシアで走って、ちょっぴり嬉しい気分だった。そしてシャワーを浴びて、ホテルで朝食を。とても心地よい日曜の朝となった。 とはいえ、どうにもこうにも解決しないのがジルバッブ問題だった。いくらアチェは海に近く、比較的涼しい街だとはいえ、真夏にジルバッブをつけて走ったら、やはり暑いと思うのだけど……。どうしたら、あんな涼しげな顔をして走っていられるんだろう。ムスリムの女性ランナーたちの顔を思い浮かべては、なんとも不思議な気持ちになるのだった。
アチェで朝ラン
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