2010年・ノーベル賞


 驚いたことに、今年のノーベル医学生理学賞に「体外受精技術を開発」した、ロバート・エドワーズ英ケンブリッジ大名誉教授(85)が選ばれたと発表された。1978年に、世界最初の体外受精児ルイーズちゃんが英国で誕生して32年。今や体外受精によって誕生した生命は、世界で計400万人にものぼるという。日本でも1983年に初の体外受精児が生まれ、その成功のニュースが日本中を駆け巡って以来、体外受精は不妊に悩む夫婦、とくに女性たちの心に「かすかな希望の光」を与えてきた。そして現在では、年間約2万人もの子どもが体外受精により生を受け、新生児の50人に1人の割合になっていた。

 そもそも体外受精とは、女性の卵巣から卵子を取り出し、精子と体外で受精させその受精卵を子宮に戻して着床させる技術である。今でこそ不妊治療がずいぶん身近なものとなっているが、1978年当初は、ローマ・カトリック教会を先頭に、「人間の生命の誕生」に人の手が加えられることに痛烈な批判を浴びせた。一般的にも体外受精は「試験管ベービー」と称され、かなり強い負のイメージがあった。日本の医学界では、「体外受精における奇形、もしくは先天異常をもって生まれる子どもの発生率」が懸念すべき大きな問題だと考えた。そしてわたし自身も自分がまだ子どもだったこともあり、本当に試験管のなかで赤ちゃんが育って大きくなるのかと、何か未来映画の話を聞いているかのような思いになったのである。
 そして、この負のイメージは1990年代半ばころまでつづいていた。ところが、90年代後半になると、高度生殖医療のさらなる発展がもたらされ、「そこまでしなくても」とあんなに抵抗していたにもかかわらず、女たちはすんなり不妊治療という科学技術の進歩を受け入れるようになったのである。その抵抗感は、21世紀になるとさらに低くなり、わたしが著書『40代初産をはじめた女性たち』の取材をはじめた2004年ころになると、取材した「40代初産」の女性の5割近くの方が体外受精による出産だった。90年代、払拭できずにいたあの「試験管ベビー」という負のイメージも、もはや忘却の彼方となっていた。
 実際わたし自身も、体外受精がどういうものなのか、取材を進めるうちに明確になっていくのだが。知れば知るほど、この科学技術が、私たち女性の人生にもたらした影響は計り知れないものがあることを実感したのである。新しい時代を生きる「女たちの歴史」を、科学技術の面からも新たな扉をひらくことになったと言えるだろう。この技術の進展が倫理的に良かったのかどうかは分からない。が、今となっては体外受精で生まれてくる生命は、決して珍しいものではなくなっているのである。

 報道によると、この技術を開発した、エドワーズ博士は、受賞をとても喜んでいるとのことだった。また、「各方面から批判されながらも、決意をもって粘り強く研究を続けたことが、体外受精研究の開拓者としての成功につながった」と語ったという(AFPBB News)。
 一方、バチカンは不快感を示したようだ。ローマ教皇庁の生命アカデミー委員のコロンボ氏は、「深刻な道徳的疑問を引き起こす」と批判した(クリスチャントゥデイ)。バチカンは受精卵の段階で「人間」とみなす考え方を採っているため、受精卵の中から良質なものを選択して子宮に戻し残りを捨てる体外受精に疑問を投げかけつづけているのである。
 生命とはどの段階から、という問題はとてもむずかしい命題だろう。ただわたしが「40代初産」を経験した女性たちの取材を通して感じたことは、いくら時代が進んで技術が進展しても、永遠に変わらない「どうにもならないもの」があるということだった。「生命の誕生」という神秘は、やはり神秘のままなのだと。授かる生命。生まれ出る生命。何かの導きかのように、不思議な巡り合わせがそこにはあった。何よりも自分の人生に与えられたものを乗り越えた後、精神的に一山越えた後に、多くの女性が思いがけずに子を宿していたからだった。偶然とも必然とも分からない、ひとつの尊い生命の誕生がそこにあったのである。
 今回のノーベル賞受賞が、今後の高度生殖医療にどんな影響を及ぼすのか、これもまた未知であろう。今、日本を見ても、代理出産や、第三者からの卵子提供による体外受精の問題が浮上してきている。野田聖子国会議員の「50代初産」にも、本当に驚かされたのが正直な感想だった。そういったことも含め、2010年のノーベル賞が、さらなる高度生殖医療の発展、そしてまた新たなる女性の生き方へのターニングポイントになることには違いないだろう。
 なぜ、今年、「体外受精の技術」が評価され、エドワーズ博士がノーベル賞受賞となったのか、不思議であるが。そこにも、偶然とも必然ともいえる神秘があるのだろう。

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