ひとひらの雪


 今日は朝からどんより曇り空。気温は3度。前日から“今日こそは走ろう”と決めていたけれど、ちょっぴり躊躇する寒さだった。でも、ここでベッドのなかに再び潜り込んでしまえば、今週も走らないことになってしまう。そう思い、思い切ってランニングウエアに着替え、シューズを履いて、冷たい空気のなかへ走り出していったのである。
 いつも通り、テレンコペースで家の近くの環状8号線を南下した。走りは快調だった。そうして、2キロくらい走ったころ、あら、これは雪? ふわっとひとひらの雪が目の前に舞い降りてきたのである。ひとひら、ふたひら、そしてパラパラ…と。なんて幻想的なのだろう。天からひとひら目の雪が舞ってくるところに遭遇するなんて。まるで桜の花びらがふわり舞い降りてくるような優雅な動きだった。そして、ゆっくり走る私の足元ですぅーと消えていく。
 やがて2.5キロを走り、環八を折り返しすころには、雪がパラパラと音をたてて私の身体を刺してきた。あわててランニングジャケットのフードをかぶり、走りつづけたが、じんじんと手がつめたくなってきてシンドイ。手袋をし忘れたことが悔やまれた。
 それでも、粉雪が舞い降るなかを走るという生まれてはじめての経験は、ちょっぴり楽しい気分にさせてくれた。童心を思い出したという訳ではない。かつて『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された、とあるコラムを思い出したからだった。つまり、そのコラムには、このように書かれていたのである。
『凡人にとって、ランナーは自分たちとは違うということは明らかだ。雪の中でも、雨の中でも、寒さの中でも頑張って走る。夜中でも、明け方でも自分自身を傷みつけ、車や吠える犬をかわし、週何マイル走ったか、年に何度靴を駄目にしたかで人生を評価している。そしてランナーが虜になったように、ランニングに没頭する態度や、ランニングがいかに自分たちの人生を変えてくれたかを証明するのに熱中する姿は、心理学者以外の人には、性格的におかしいと映るかもしれない(by ウィリアム・ストックトン)』──と。
 その通り! 私は、少しほっとしながらこのコラムを読んだものだった。やはり、ランにハマっている人たちは、性格的におかしいと映るのだ。私は、そんな“ランニング中毒”には、絶対なりそうもないわ…と。ところが今日の私はどうであろう。ついに私も、“雪の中でも頑張って走る”、性格的におかしいと映る人になったというわけだ。そんなことを考えながら走っていたら、ずいぶんと愉快な気分なっていったのである。

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