アンコール・ワットを走る


 それは実にミステリアスな誘いだった。
 今まで「走るなんてあり得ない!」と思っていた私だったが、ある日突然、マラソン大会に参加することになったのだ。それが、世界遺産アンコール遺跡群で開催されている『アンコールワット国際ハーフマラソン』だった。今でも不思議なことだが、「遺跡の中を走る」×「地雷禁止を訴える」チャリティマラソンであることを友人から聞いた瞬間、私は参加することを決意してしまったのである。偶然にも、長い間心の奥底でうずいていた思いにふれたとでも言うべきか……。
 それは、「アンコール・ワットを撮ったら死んでもいい」、「地雷を踏んだらサヨウナラ」、この衝撃的な言葉を残して1973年にアンコール・ワットで消息を絶った戦場カメラマン、一ノ瀬泰造への思い。彼の生き様を通して知った、20世紀の悲惨なインドシナ戦争とカンボジアの過酷な現実への思いだった。

「キミは一ノ瀬泰造を知っているか?」
 ベトナム戦争最後の「サイゴン解放」の瞬間に立ち会ったというフォトジャーナリストにそう聞かれたのは、1990年代半ばのことだった。私が東南アジアの人々の暮らしを取材しはじめた頃である。以来、泰造やインドシナへの思いはつのるものの、当時、長きに渡りつづいた内戦が終結したばかりのカンボジアへ行くチャンスは、なかなか巡ってこなかった。いつか私もアンコール・ワットに行こう。そう思いつつ時だけが過ぎていたのだ。かれこれ20年近くも……。

 そんな折りに舞い込んだチャリティランへの誘い。長距離を走ることは、退屈で苦しいだけのスポーツのように感じていたけれど…。「遺跡の中を走る」×「地雷禁止を訴える」という大会のテーマは、心を強く揺さぶった。今こそインドシナに行くときかもしれない。そして、泰造が夢にまで見たアンコール・ワット遺跡の写真を撮り、内戦終結から20年の歳月を経たカンボジアの暮らしをこの目で見てこよう。そんな思いがにわかに湧き上がり、「走る衝動」へと駆り立てられていったのである。

 完走できるかどうかは問題ではなかった。本当に走れるのか、想像すらできなかった。しかし、それでも「走り出す」理由は十分だった。アンコール・ワットに行くために、走る。ただ、それだけだった。そして、アンコールの古代の森と神秘的な遺跡群の中を走り抜けるのだ──。
 こうしてある日突然、私にも「走る人生」がやってきたのだった。

*つづきは、『Number Do』2014.1.29号 「私が今日も走る理由。」── “チャリティランになぜ、参加する?”──でご覧いただけます。
関連記事