アクト・オブ・キリング


 信じられないほど恐ろしい映画を観た。『アクト・オブ・キリング』──「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」と、殺人の実行者に持ちかけて再現させたドキュメンタリー映画である(12日劇場公開)。
 世界は冷戦真っただ中の1965年、インドネシアでスカルノ初代大統領へのクーデター未遂事件「9・30事件」が起きた。その後、一夜にして事件を鎮圧したスハルト少将(後の第二代大統領)らにより、クーデターは共産党勢力の陰謀とされ、インドネシアは容共から反共・親米路線へ大転換。そして秘密裏に50万人とも100万人ともいわれる市民が“共産主義者”とみなされ虐殺された。その事件の実像に米国人のオッペンハイマー監督が迫った話題作だ。
 真相は今なお闇の中だが、スハルト政権が誕生する原点ともなった共産主義者の一掃事件。以来インドネシアは、スハルト軍事独裁政権によって国の「開発と安定」が保たれつつ発展することとなった。国益のためならと人権を軽視した非民主的な政治や暴力的弾圧、言論の弾圧も繰り返されていく。
 そのスハルト政権が崩壊していく1990年代後半、ジャワ人家庭に滞在しながら民主化のプロセスを取材していた私は、この60年代に起きた“大虐殺”の話を、ヒソヒソ声で何度も聞いた記憶がある。
「PKI(共産党)の死体を捨てる大きな穴があちこちにあったんだ」「黒幕は国軍だよ」という教師や、「宗教を持たないとPKIと疑われて危険なので、私たちの村は仏教帰属の道を選びました」と話してくれる宗教指導者もいた。「まさか!そこまで…」と戸惑う私に、ジャワ人たちは密やかに事件の実態を語ってくれたのである。
 あの頃、90年代のインドネシアは、政府批判が即「国家転覆罪」に問われる時代。小声で話さなくてはならないほど、この“公然の秘密”を守ろうとする「力」は強大で恐怖に満ちていた。そして当時の大学生の大半は、「PKIは国家の安定を脅かす危険な輩だ」という国のプロパガンダ教育を素直に信じていた。
 そんなスハルト政権も、98年ついに崩壊し、インドネシアは民主化へと進んだ。あれから15年。その歴史の暗部を前代未聞の手法で暴いた衝撃の映画が誕生したのである。

 実際、その映像は、私が想像していたものをはるかに超え、二重の意味で恐ろしい作品に仕上がっていた。まずは殺人の実行者たちが、深刻な人権侵害である殺戮の模様を嬉々として演じはじめたことに言葉を失った。なぜこれほどまで残虐な行為を笑顔で語れるのか。人を殺めたという罪悪感はないのか。権力側にいれば、殺人でさえも国の「安定」を守るための正義となり美化されるのか。いや、普通は罪悪感に苛まされながらも墓場まで持っていく“国の秘密”なのではないのか…。この嫌悪感さえ抱く人間の心の闇に、オッペンハイマー監督は、8年もの歳月をかけて執拗に迫り、ひとつの答えを導き出していくのだった。
 そして同時に、スハルト強権時代の恐怖を知る私は、映画の出演者や制作スタッフの身の上を案じ怖くなった。98年に軍事独裁政権は崩壊したとはいえ、“国の秘密”を守るべく殺人部隊員がこんなに無邪気に虐殺の実態を語って大丈夫なのか。また、「虐殺の正当性/共産主義の脅威から国を守った」ことを謳う映画を作るつもりで出演協力した殺人部隊員や背後にある組織から、彼らを騙したと思われても仕方ない映画の仕上がり(──この点に関しては、私自身かなり複雑な思いになった)に、制作スタッフが報復されることはないのか。
 そう危惧するほど、この映像による表現は、“大虐殺”の生々しい狂気の記憶を蘇らせたのである。事実、インドネシア人スタッフは匿名を貫き、監督自身も現在インドネシアへの入国が危険な状況になっているという。
 しかし、希望がない訳ではない。今や前世紀と違い、人も情報も非常に速いスピードで国境を超えてつながっている。“国の公然の秘密”でさえグローバル化する時代だ。この映画も、すでに全世界50以上の映画賞を受賞し、米アカデミー賞候補にまでなった。こうして世界が注目する中、権力者たちが過去の過ちを直視することはあっても、力で脅すことはできないはず。事実、米アカデミー賞にノミネートされたことで、インドネシア政府は「65年の虐殺は誤りだった」とはじめて公式見解を出したのである。今後もドキュメンタリー映画が力の正義への抑止力かつインパクトになることを期待してやまない。
 ただ忘れてはならないことは、この「9・30事件」の背景には世界のパワーバランスの中で様々な大国の思惑があり、事件を仕掛けて支援した「力」が存在していたこと。そして今も世界には同じようにパワーバランスの中で、闇に葬られている虐殺や人権侵害があることだ。ある意味、この世は、力の正義と、それを利用する国(日本も含む)や人、それに恐怖する沈黙の民との上に成り立っているのである。
 本当に恐ろしいのは、この世界構造なのではないか。そこにまで想像を巡らせるか、我々も問われているのだろう。

             ◆

*最後に、『9・30事件』の背景に関して、ジョシュア・オッペンハイマー監督自身に直接質問をぶつけたので、ここに紹介する。(試写&記者会見@日本外国特派員協会/2014.3.20)

──『9月30日事件』の真相は、未だ明らかになっていませんが、その背景として、いろいろな原因があげられています。その一つして、アメリカが、インドネシアで共産党員の力が大きくなることを懸念して、この事件に加担したことがあげられています。その辺りのことを、米国人である監督自身はどのように考えて、この映画の制作に入られたののですか(新井)。

JO:この作品を撮る前に、そもそもインドネシアに行ったのは、パーム油のヤシ栽培をしている人たち、労働者たちが組合を作ろうとしていたので、それを記録するためでした。このベルギー資本の椰子プランテーション会社に雇われた人たちは、自分たちの肝臓も傷つけられる除草剤を使わされていたのです。そこで、組合を組織しようとすると、パンチャシラ青年団がやってきて攻撃されてしまいました。そういう彼らの葛藤を記録しようと。その経験から、パーム油が使われた製品を手にするたびに、これはただ数ユーロ払ってはいるけれど、実は友人たちの命が失われる状況の中で作られているものなのだと、非常に重みを感じていたことがまずありました。
 それで、今おっしゃっられたように、『9・30事件』に関しても、米国政府の関与のレベルは明確ではありませんが、少なくとも、軍のインドネシア軍にですね、デスリストを。ジャーナリストの方が多かったのですが、新体制に反対する方々、共産党員などのリスト、名簿を渡したということはハッキリしています。また他に、武器や、資金援助、こういったことが行われたことも分かっています。そのことが、この映画を作ったモチベーションの一つであることは間違いありません。


追記:
 今の日本の国のありようをみていると、かつてインドネシアが経験したことが、対岸の火事ではないことを感じ、恐ろしくなる。まさか、民主主義が成熟している日本で、「知る権利」や「表現の自由」が脅かされるような時代へ逆行することがあるとは想像すらしていなかった。また、国益のためにと、力の正義がまかり通っていくことになるとは…。
 戦後70年の今年、日本の形が根本から変わろうとしていることに対して、やはり沈黙していてはいけない。そう改めて思うのである。(2015年4月5日)

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