体内時計


 ライターという不規則な生活を強いられる仕事をはじめて20年。もともと夜型だったこともあり、フリーランスとなって自宅で仕事をするようになってからは、ますます夜から朝にかけて煌煌と電気を灯した部屋で起きている生活が定着しつつあった。徹夜しないと、締め切りに間に合わないという事情もあるのだが、何よりも夜中のほうが頭がクリアに回転するのである。おかげで、朝方まで仕事をし、それからベッドに入り、午前中おそめに目覚めるという、ふつうの人たちと3時間から4時間ほど時差のある生活が、わたしの日常となっていた。締め切り直前となると、それもかなわず、どんどん後ろに生活がずれていったのである。
 しかし若いころはそれでもよかったが、さすがに40代にもなると、このような生活をつづけていると、いろいろな支障をきたすようになった。とにかく1日中、眠く、体はだるく、どんなに寝ても頭はずっとぼーっとしたまま。仕事をしようにも、昼間の眠さは半端じゃなく、まったく頭が働かない。その上、あるとき突然、気絶したように睡魔に襲われ、起きていられなくなるのだ。その突然の睡魔が午後2時ころのこともあれば、夕方5時ころのことも、また夜10時ころのこともある。そして逆に、夜中に突然目覚め、まったく眠れず、結局朝までパソコンに向き合うことになるときもあった。もうわたしの体と頭は、わたしでありながら、わたしの意志ではどうにもコントロールできなくなっていたのである。
 もしかして、睡眠時無呼吸症候群かもしれないと思い、大学病院で検査してみたが、まったく異常なし。区の健康診断で「眠いのです」と、何度訴えてもまともに話も聞いてくれない状況だった。これではいつも眠いというモヤモヤした気持ちを抱えたまま、不規則な生活を一生つづけなくてはならない。そこでネットであれこれ調べてみると、どうやらわたしの症状は体内時計が狂っていることから、交感神経と副交感神経がうまく働かなくなっているものに最も近いようだった。つまり体内時計を正常にもどすことが先決のようだ。

 というわけで、この夏、体内時計を整えるべく生活改善を試みてみた。まずはわたしの体に朝・昼・夜の情報をきちんと知らせることが大切らしい。朝、きまった時間に起きて朝日を浴び、脳に朝がきたことを知らせる。そして夜も決まった時間に、できればその日のうちに就寝する。たとえどんなに頭がクリアでも決してふたたび起きて部屋の電気をつけ仕事をはじめてはいけない。脳に「もう今は夜なのだ」と光をシャットアウトすることで知らせなくてはならないのだ。つまり、光の情報により脳に1日の生活のリズムを刷り込んでゆくのである。なんだか、ビニールハウスで栽培されている野菜になったような気分だが、この光によるコントロールを試してみることにした。
 そしていざ始めたものの、ふつうの人は3日もすれば元にもどるらしいが、わたしの場合は体内時計が狂いはじめてから20年近い歳月が経っているので、早々カンタンにはいかないようだった。かろうじて毎日定時に起き、ベランダに出て朝日を浴びる生活は保ちつつあるけれど、夜はどうしても遅くなってしまう。昼間もがんばって寝ないようにしながらも、起きていられる日と、睡魔に勝てない日とかが交互にやってくるのだ。
 それでも、少しずつだが生活のリズムがふつうになりつつあった。午前中に一仕事ができるようになり、ランチも正午前後にとれるようになった。夜はベッドに入ればすぐ眠れるようになり、朝も目覚ましより先に目覚め、二度寝をしないでも起きられるようになった。この規則正しい生活をあと1ヶ月もつづけられれば、憧れの昼間頭がクリアな生活が手に入れられるかもしれない。そんな期待が高まりつつあった。どうか仕事が徹夜しないと終わらないほどハードになりませんようにと祈りつつ…。

 そんな生活をしながら、やはり人は太陽の光とともに生活するのが自然なことなのだと改めて思いはじめたのである。朝日が昇るとともに起き、仕事をし、そして日没とともに仕事を終え寝るという生活が、何よりも人間の体には合っているのだと。わたしのように夜中じゅう煌煌と明かりをつけて仕事をしなくてはならない生活は、やはり異常なのだ。
 震災後、街の明かりがちょっぴり暗くなったが、思えば、以前の東京の夜は明るすぎたのである。外国にいると、夜の街はこのくらいの暗さがふつうだし、海外から本帰国したばかりの友達は、これでも明るすぎて目が痛くなると言っているほどだった。そんな異常なほど明るすぎた東京の街。24時間不夜城のような街は、やはり体内時計ならぬ、街中時計が狂っているゆえに、さまざまな街の機能が支障をきたしていたのだ。
 「3.11」の震災は、ある意味、街中時計も正常にもどすべき時期がきていることを警告していたのだろう。このまま不夜城のままの東京では、いずれすべてのバランスがくずれて、自律神経失調症のような街になると。いやすでに、そうなりかけているので、手遅れにならぬようにとの知らせだったに違いない。
 太陽の恵み、自然の恵みに改めて感謝しつつ、そんなこんな思いを巡らす夏となったのである。

関連記事